142.敬愛なるベートーベン
キリスト教徒ではないのだけれど、小学生の頃読んだ大人用の本で、ベートーベンが耳が聞こえなくなってしまった、ということがなんだかずっと頭から離れなくて、ジャンヌ・ダルクが最後処刑されたことと同様に、自分にとっては“神の所業”ということを考えさせられてしまう、一つのテーマだったりもした。
それは、音楽家であるベートーベンが、なぜ晩年になって耳が聞こえなくなってしまったんだろう、と考えると、どうしてもそれとワンセットにされてしまうのが彼の気難しい性格だったりしたためで。
そして、その子供の頃に読んだ本には、「だんだん耳が聞こえなくなり、ほとんど聞こえなくなってしまったベートーベンが演奏して、大きな拍手を得たけれども、その拍手の声は聞こえなかった」・・・
という文がずっと忘れられなくて、心に残っていたりした。
この話では架空の人物を想定し、アンナ(ダイアン・クルーガー)が、ベートーベン晩年の、第九の公演4日前にやって来て、女性写譜師として一緒に仕事を始める。
アンナは当時の女性に対する価値観には釣りあわないほどの才能の持ち主で、ベートーベンに向かって、「ここはニ長調ではなくてニ短調のはず」と、キーを訂正すらする(第九のキーをですよぉー)。
ベートーベンは、その意見の正しさを感じながらも、持ち前の気難しさと、尊大な気質のために、自分を神に、自分の仕事を“天地創造”にすら例えていて、その絶大すぎる自信のほどに、すっかり感じの悪い、孤高の天才ぶりを感じさせる。
口も悪く、気難しく、おまけに、不潔な癖に体を洗うのは、水漏れするのを知りつつ、下の階の住人の夕食時に合わせて、派手に頭から冷水をかぶったりする。そんな人を食った傍若無人ぶりが目につく。
エド・ハリス演じるのはそんなベートーベンなのに、なぜか憎めなくて、孤独の天才にもかかわらず、とても人間的な人として感じさせるのに成功していて、胸を打つ。
自分の甥の気持ちを知りつつも、音楽家にさせようと躍起になっている。彼に強いて、余計、甥としてのプライドを傷つけ、甘えさせ、怠惰な人に育ててしまっているのは、ベートーベンその人なのだ。愛しているからという理由で、余計彼をダメにしてしまっているのに気づいてはいない。
甥のカール・ヴァン・ベートーベンを演じたジョー・アンダーソンも、心の弱さと、そんな複雑さを表現していて良かったように思う。
アンナの手伝いによって、第九の指揮を完成させるベートーベン。
この中盤に置かれた盛り上がり部分を見て、「ああー!しまったーこれ、せっかくだから大晦日に見れば良かった〜
と、激しく後悔しました。
このシーンは、音楽も本当に心に残り、素晴らしい。第九は大晦日に聞きにいったことはないのだけれど、荘厳さがやっぱり胸を突くかのようだ。
これ、まだ見ていない方がもし居たら、大晦日に見ることをオススメしますよ。本当に演奏が素晴らしいのに、1800円!安い♪
そして、あの、アンナがキーを訂正した箇所のDマイナーの転調部分は、もう、鳥肌が立ってしまいました。あそこ、本当に、転調していないと、全く魅力に欠ける部分だったのでしょうね。
最後、割れんばかりの拍手の前のシーンで、鈍いエンジン音のような咆哮を聞かせていた。それは音のない世界を表現していたと思うが、その後、観客の拍手が響き渡る。
ここは、ベートーベンの心に、その拍手が鳴り響いた、ということを表わしていたのだろう。当然ながら・・・滂沱しまくりだった。
そして、実際もそうだったら良かったなあ・・・と強く願った。
だが、この“天使”が行ったことで一番重要だったのは、誰一人として信用できないベートーベンをして、誰かに自分を委ねさせる、ということ。
これまでの彼が一度も出来なかったことが、それだったのだ。
自己愛が強すぎ、自分の才能を過信するが故に、未熟な人間性を持つベートーベン。
だが、その意味とありがたさを理解しているベートーベンは、素直とすら言える態度で、アンナに心を開いてのち、一緒にアンナの曲を完成させようとする。
これがこの中盤盛り上がりより先の後半部分なのだ。
深い孤独な人間が、与えてくれた愛(男と女の性愛ではなくて、人間としての愛)を、今度は、返す。それが後半部分だ。
これがもちろん、ベートーベンにとっては、とても難しいことで、慣れていないためにまた、間違いを犯したりもする。
原題の“Copying Beethoven”は、写譜をする、という意味で“copy”と使われてもいたが、アンナが、ベートーベンの“真似をしようとしている”と、ベートーベンが怒号を吐くときにも、“自分をコピーしようとしている”と、言っていた。
何か、ベートーベンの魂を模倣しようとしている、アンナの姿として、表現しているタイトルなのだろうと思う。
アンナと出会ったベートーベンは、アンナに向かい、なぜ自分の耳が聞こえなくなったか、自分なりに考察しているセリフがある。
それは、心を無にして、そこで自分の声を聞く、・・・自分だけの音楽を創造する、そのために、神は自分を難聴にしたのだ、という一言がある。
これは、なるほどなぁと、思った。
実際にベートーベンがどう考えていたかは、もちろん現在の我々には想像もつかないことだが、この監督の考え方だと考えると、とても納得のいくものだった。
リュック・ベッソンが『ジャンヌ・ダルク』で、彼女の罪を“妄信”としたことと同様に、自分にとってはとても腑に落ちる考え方だった。
アンナという人物が本当には存在しないにしろ、この話にあるように、ベートーベンのような人が、死ぬ間際に、人間の暖かさをこうして感じれていただろうか、と考え、それを望んだ。
それから、聞こえなかった観客の拍手も、あのシーンのように、心に響いていたらいいのになあと、心の底からそう思う。
2006/12/17 | 映画, :ドキュメンタリー・実在人物, :音楽・ミュージカル・ダンス
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コメント(73件)
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CINECHANさんへ
あけましておめでとうございます!
大晦日にこの作品を鑑賞ですか♪
いいなあ〜☆羨ましいです!シネマポイントカードを使えたし・・それを聞いて安心しました★
って、余計なお世話ですが(笑)
第九のシーンが終わると少し気が抜けたように感じてしまうのは、確かにそうかもしれませんね。
冒頭のシーンは、ラスト間際のシーンですね。ベートーベン忌わのきわですね。死を見取った弟子のように描かれていましたね。
音楽とは神の息吹だ!
284「敬愛なるベートーヴェン」(イギリス・ハンガリー)
1824年ウィーン。新しい交響楽??第九??の初演を4日後に控えたベートーヴェンの元に作曲家を志す23歳の若き女性アンナ・ホルツがコピスト(写譜師)として訪れる。女性が訪れたことに激怒するベートーヴ…
敬愛なるベートーヴェン
「敬愛なるベートーヴェン」 2006年 英/洪(ハンガリー)
★★★★★
1824年のウィーン・・・今からおよそ200年前に遡る。
世界的にその存在を知らない人は居ない有名な音楽家ベートーヴェンの晩年
をドラマチックに、音楽に乗せて展開する。
…
【劇場鑑賞142】敬愛なるベートーヴェン(Copying Beethoven)
“第九”誕生の裏に、
耳の聴こえないベートーヴェンを支えた女性がいた。
孤高の音楽家ベートーヴェン、歴史に隠されたもう一つの物語。
映画 タイタニック(監督 ジェームス・キャメロン、主演 レオナルド・ディカプリオ)動画有
1997年、3773メートルの海底の暗闇にタイタニック号の姿がおぼろげに浮かび上がる。
タイタニック号とは、第一次世界大戦直前の1912年4月10日にイギリスのサウサンプトン港からニューヨークへ向けて処女航海へと旅だった、当時最大の客船であり『夢の…
★「敬愛なるベートーヴェン」
今年1本目の劇場鑑賞は、
三連休なので日曜日でもナイトショウを開催してくれてる「TOHOシネマズ川崎」にて。
ちょうど、テレビで仕入れたベートーヴェンねたをいろいろ知ってたので、
今回はブログか書きやすかったです。
それにしても、この天才は
傍若無人で、嫌みでわがまま・・・
しかも不潔・・ときたもんだ・・っていう人物像。
であるが故の孤独・・・
甥への溺愛、
耳の不自由・・・
なんてドラマチックな人生なんでしょう。
まっ、この映画はコピストがフィクションの人物だったらしいですが。
ひらりんさんへ
こんばんはー★
そうですね、コピストはフィクション性が濃い部分ではありましたが、その辺りはもう仕方がないと、切り離して考えてしまった私です^^;
とってもドラマチックな人生でしたよねー。
いかにも天才という感じですね。
2007年の一本目は!?
レポートとかで忙しくても
空いた時間にちょくちょく観てます
その90分とか120分の間に取り組んでいたとしても
その分作業が進むとは限らないしね{/face_warai/}
敬愛なるベートーヴェン
“第九”の初演を4日後に控えた1824年のウィーン。楽譜が完成しない中、ベートーヴェ…
敬愛なるベートーヴェン
映画 「敬愛なるベートーヴェン」
(アニエスカ・ホランド:監督)
を観てきました {/onpu/}
孤高の音楽家・ベートーヴェン(エド・ハリス)と、
彼の写譜師となった作曲家志望の学生・アンナ(ダイアン・クルーガー)との
師弟愛を描いた作品。
…
こんばんは♪
TB&コメント、どうもありがとうございます。
こちらからもTBさせていただきました。
よろしくお願いします。
第九の転調の部分、私も大好きな箇所です。
すごく意味ある転調ですよね☆
「copy」の意味、深いですね。
そっか、写譜だけでなく、魂の模倣ですか。
うんうん、なるほど。
とはいえ、日本語のタイトルも、
よいタイトルで好きですけど^^
実際のベートーヴェンの晩年も、
あのようにあたたかいものだったら
ほんとうによいですね。
miyukichiさんへ
おはようございます★
第九の転調部分がカッコ良かったですよね!
私は、この映画を見るまで、そこに気づきませんでした。
そうですね、私もこの日本語タイトル、結構好きでした!
ベートーヴェンの実際の晩年は、本当はもっと耳が聞こえなくなっていたはずなんですが、ま、それは置いておいて、人間嫌いが少しでも直って、あの世に召されたのだったら良いなぁと、思ってしまうんですよね。
敬愛なるベート―ヴェン★★★☆劇場13本目・第九のシーンは圧…
もしかしたら見逃しちゃうかも?!と思ってましたが何とか見に行ってきました、敬愛なるベート―ヴェン。誰もが知っている偉大な作曲家、ベートーヴェンの亡くなる前の数年間を描いたもの。解説は例によって、yahooからコピペでまとめてみました。解説:孤高の天才音楽家ル…
音楽の生まれる時「敬愛なるベートーヴェン」
ベートーヴェンの最晩年を描いた傑作「敬愛なるベートーヴェン」。監督は「太陽と月に背いて」で詩人ランボーを描き、次回作でエカテリーナの物語を撮る予定のアニエスカ・ホランド。物語・1824年ウィーン。「第
「敬愛なるベートーヴェン」
「Copying Beethoven」2006 USA/ドイツ
監督はレオナルド・ディカプリオ主演の「太陽と月に背いて/1995」のアニエスカ・ホランド。大好きなエド・ハリスがルドヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを演じている。
アンナ・ホルスにダイアン・クルーガー「戦場のアリア/2005」…
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敬愛なるベートーベン-(映画:2007年133本目)-
監督:アニエスカ・ホランド
出演:エド・ハリス、ダイアン・クルーガー、マシュー・グード、ジョー・アンダーソン
評価:86点
公式サイト
「初演まであと4日なのに楽譜がまだできていない」なんて話から始まるけど、そんなのありなのか?クラシックの世界はよく…
とらねこさん、こんにちは!
実は、こちらの記事も昨日拝見させて頂いちゃってました(*^_^*)
でも、古い記事だとTBがえしも大変だろうなあ・・とか思って、控えちゃってました(^o^)
ありがとうございましたー☆
とらねこさんも小さい頃、ベートーベンの耳のエピソードが凄く心に残っていたんですね。
最後の方、全然聞こえない位の難聴と聞いていたけれど、あの映画では、会話が成立する位には聞こえてる様でしたよね。でも、会場での拍手が聞こえない様でもあり、そういう部分では、ちょっとどっちなんだ〜?って思ったりしました^^
「4分間のピアニスト」「敬愛なるベートーヴェン」感想
年末ギリギリに見た、音楽映画であるこの2作品が、かな〜〜り良かったです。もう2007年のベスト10出しちゃったんですが、入れるとしたらギリギリ9位くらいかな・・、でも両方とギ..
latifaさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
わざわざ戻っていただき、すいませんでした。
古い記事のTB返し、特に面倒ではないですよ、大丈夫です〜。
わざわざ気を使っていただいたのですね!ありがとうございます。
そうですね、ベートーベンの難聴ぶりは、「あれ、結構聞こえてるじゃん」なんていうところが結構あったんですよね・・・。
小さい頃覚えていたのは拍手が聞こえなかったところ、このエピソードが強く印象に残ってたんです。さすがに有名なエピソードなんでしょうね。
敬愛なるベートーヴェン
『“第九”誕生の裏に、 耳の聴こえないベートーヴェンを 支えた女性がいた。』
コチラの「敬愛なるベートーヴェン」は、年末になると必ず1度は耳にする「第九」、その誕生と彼の晩年を支えた1人の女性にスポットを当てたヒストリカル音楽ムービーです。
主演は….
『敬愛なるベートーヴェン』’07・英・ハンガリー
あらすじ“第九”の初演を4日後に控えた1824年のウィーン。楽譜が完成しない中、ベートーヴェンのもとに写譜師としてアンナが派遣されてくる。ベートーヴェンはアンナを冷たくあしらうが彼女の才能を知り、仕事を任せることに・・・。感想詩人ランボーを描いた『太陽…
敬愛なるベートーヴェン
Copying Beethoven
2006年:イギリス・ハンガリー
監督:アニエスカ・ホランド
出演:エド・ハリス、フィリーダ・ロウ、マシュー・グッド、ダイアン・クルーガー、ラルフ・ライアック、ニコラス・ジョーンズ
1824年のウィーン。「第九」の初演を4日後に控え、いまだ….