※14・15.海辺のカフカ(上・下)
作者/村上春樹
世界で一番タフな15歳の少年と、不思議な力を持つ老人の話。
二人の別々の話が、その世界が重なり焦点が絞られていく様が見事。
この小説は確か、新聞で1年ほど前だったか、今までの小説の群を抜いて売上げベストセラーに輝いた、と聞いていた。
これまでの村上春樹の一番の売り上げを記録した、『ノルウェイの森』ですら越えたと。
それから、世界的にも訳され、順調な売り上げを記録していた、とか。
すごい。村上春樹は、さすが、またやってくれた。そう思って、すごく胸のすく思いがした。
しかし、実際読んでみると、こんなに分かりづらく、メタファーは散りばめられ、とても難解に思える作品なのに、評価が高いのはなぜなんだろう。
自分は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が大好きなので、難なく読める春樹ファンだったりする(とか言っても、今頃読んでるわけですけど・・・)
で、また、そういった春樹ファンには、癖になる小説ではあると思う。
実際、この本を読みこなすために、HPとか、『海辺のカフカを精読する』なんていう本も別個に出版されていて、・・・きっと、多くのファンを魅了してやまないのではないかと思ったりもする。
“世界の万物はメタファーだ”と、言い切るこの小説は、あきれるくらい数多くのメタファーが登場する。だが正直、村上春樹の文学的素養の深さや、クラシック音楽に対する、センスある薀蓄なんかは、人によって、イライラするんじゃないか、とは思うのだが、・・・
その上、このストーリー。二人の話が各々、細部を楽しむことを許すとは言え、全体を俯瞰してみることを、拒否し、答えを出すことを是としない。まるで、そう、フランツ・カフカだ、私に言わせれば、デヴィッド・リンチよりよっぽど難しい。
この小説を一言で表す、という、無謀なことを敢えてするなら、『ライ麦畑〜』と、カフカの『城』とか『審判』を足し、ソフォクレスと古事記で掻き回された、ヴァージニア・ウルフのようだ。
小説の冒頭、いつもの春樹と違う、“僕”の物語が始まり、100Pを過ぎたところで、カフカ『流刑地にて』についてこういう。
>カフカは、僕らの置かれている状況について説明しようとするよりは、むしろその複雑な機械のことを純粋に機械的に説明しようとする。
つまり、そうすることによって彼は、僕らの置かれている状況を誰よりもありありと説明する事が出来る。状況について語るのでなく、むしろ機械のことについて語ることで。
この言葉が出てきたことで、我々は、この小説を読む際の心構えのようなものが出来、ホッとするように思う。
部分をそれぞれに理解することで、ミニマリズムが総体であることを良しとする、そのような読み方を誘導されている気がする。
下巻に入ると、こんな言葉が出てくる。
>象徴性と意味性とは別のものだ。そういった冗長な手続きをパスして、そこにあるべき正しい言葉を手に入れる・・・
芸術家とは、冗長的手続きを回避する資格を持つ者のことだ。
メタファーについて理解するというような、頭で物事を捉えるあり方ではなく、感覚で捉えようという、蝶を捕まえるがごとく、それらが飛び回る様を、愛でるような感覚だ。
そして、この小説において、論理性はもちろんのこと、時間性も、否定される。
>すべての物体は移動の途中にあるのだ。地球も時間も概念も、愛も生命も信念も、正義も悪も、すべてものごとは液状的で過渡的なものだ。ひとつの場所にひとつのフォルムで永遠に留まるものはない。宇宙そのものが巨大なクロネコヤマト宅急便なのだ。
これはこの小説の中枢をなす基本的定念でもあるだろう。
主観的空間や思念の中で、時間性と空間性を否定した文学表現というと、意識の流れ派、プルーストやバージニア・ウルフを思い出すところだ。
空からヒルが降ってきたり、イワシが降ってくるのは、映画ブロガーならむしろ『マグノリア』を思い出すだろう。
そして実体を持たない登場人物である、観念だけの存在(神でも仏でもない)すら登場するのだ。
それから、この世のどこにもない場所に“僕”は行く。
森の中をさまよって“僕”が佐伯さんを見つけた場所は、佐伯さんはもう亡くなってから来ている、ということもあり、まるで古事記の“イザナギとイザナミ”のオマージュだと思う。
決して後ろを振り返ってはならない主人公が、黄泉比羅坂に置かれた千引きの石を目印に、この世へ戻ってくるという、イザナギ神話に似ている。
そして、この話はすべて、“言葉で説明しないこと”を要請される。
>僕はこの話をこの先たぶん誰にもしないだろうと思う。たとえ君に対してもだ。・・・ことばで説明してもそこにあるものを正しく伝えられることはできないから。本当の答えというのは言葉には出来ないものだから。
だがテーマを大まかにいうなら、これは喪失に関する物語だ。
村上春樹は、『ノルウェイの森』から、喪失に関するテーマが多くみられる。
『ノルウェイ森』では、フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』のようだと思った記憶がある。ギャツビーのその後、というか、喪失感と時代性がマッチされたもので、秀逸だった。
『ねじまき鳥クロニクル』は、何かの喪失と、それを取り戻すことがテーマだった。こちらでは、失いつづけてゆくこと、そこに従事した空虚感、“人は失われた何かを求め続ける”、だがそれが恋に似ている、という。
>僕らはみんな、いろんな大事なものを失いつづける。
大事な機会や可能性や、取り返しのつかない感情。それが生きることの一つの意味だ。でも僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。きっとこの図書館の中の書架みたいなところだろう。
そして僕らは自分の心の正確なありかを知るために、検索カードを作りつづけなくてはならない。・・・
すべて小説の流れに沿って、微力ながら理解しようと思えば、こんな風な解釈が可能かと思われる。だが、これらはこの小説の良いところを全て説明できているとは思えない。
最後に、途中に出てきたチェーホフの引用を。
>必然性というのは、自立した概念なんだ。それらはあくまで役割としてのロジックやモラルや意味性とは別の成り立ちをしたものだ。・・・
役割として必要でないものは、そこに存在するべきではない。役割として必要なものは、そこに存在するべきだ。それがドラマツルギーだ。
ロジックやモラルや意味性はそのもの自体にではなく、関連性の中に生ずる。
おそらく、これはこの小説をより深く理解しようとする人のためのキーワードだ。逆に言えば、関連性の中で生じてこないものはドラマツルギーではない、『マグノリア』への理解の仕方と同様のものであるように自分には思えた。
2006/11/26 | 本
関連記事
-
-
『職業としての小説家』 村上春樹の語られなかった講演集
村上春樹の、小説家としての自分、そして彼の人生全てについての自伝的エッ...
記事を読む
-
-
『ゴーン・ガール』(上・下)by ギリアン・フリン を読んだ
うん、なかなか濃い読書体験で満足。 ほぼ映画『ゴーン・ガール』と同じ内...
記事を読む
-
-
『封印されたアダルトビデオ』 by 井川楊枝 を読んだ
この激ヤバな内容…。これは凄い。AV業界の裏事情を書いたものとして、突...
記事を読む
-
-
『愛を語るときに我々の語ること』 by レイモンド・カーヴァー を読んだ
久しぶりに文学に触れた気がして、嬉しくなった反面、少し緊張したりもした...
記事を読む
-
-
『潜水服は蝶の夢を見る』 by ジャン・ドミニク・ボービー を読んだ
忘れられない映画なんだ。 ゼロ年代のベストにも入れた、大好きな作品(同...
記事を読む
コメント(20件)
前の記事: 127.トゥモロー・ワールド
「海辺のカフカ」 村上春樹
■海辺のカフカ * 村上春樹著 実は初めて読んだ春樹さんの本。いや??衝撃的でし
TB,ありがとうございます。
僕には、とらねこさんの批評が全く分かりませんでした。
いい文学評論本、雑誌があれば教えてくださいね。
TB,いただいた記事は、ブログ分割とともに移転するつもりです。
移転すれば、また、お知らせします。
TB、ありがとうございます。
興味深いレビューですね。この本、ほんと難解。。僕には、そこに記されたあらゆる情報面のうちの一つを都合よく自分なりに受け止めるので精一杯でした。書くのにかけた時間と同じだけ費やして読めば、いろいろ見えてくるんでしょうね。そういう意味で、安心して向き合える小説だと思います。
…村上春樹は「喪失感をテーマに…」というくだり、なるほどなぁと思いました。“ねじまき鳥…”については僕もレビューを書いていますが、この小説も本当に難解な印象。
ではまた遊びにきます。
『海辺のカフカ』
『海辺のカフカ 上・下』 (新潮文庫)
著:村上春樹
15歳の‘僕’はさまざまなものを受け止め、受け入れるため四国へと旅に出る。
物語は、夢の中のような不思議な世界と、リアルな現実の世界、その狭間で展開され??
アッシュさんへ
こんばんは!コメントありがとうございます★
以前、トクザさんの方にお話させていただいたことはあったのですよ♪
アッシュさんの方は初めましてです。
いい文学評ですか、『三島由紀夫のフランス文学講座』とか、サマセット・モームの『Books & reading(邦題は分かりません)』とか、夏目漱石の『ガリヴァ旅行記』の評論なんかはとっても良かったです。
普段はあまり・・・といいますか、それ以外は読んだことないのですけど
文学評とか映画評とか、自分全然読まないんですよ。アッシュさんも、文学評はあまり読まないとおっしゃっていましたが、そのスタンス、自分も共感しました。
>説明書きの必要なアートはアートじゃない
って、確かこの本の中で春樹も言ってますが、本当にそうだと思います。
roadstarさんへ
こんばんは、初めまして、コメントありがとうございます!
>僕には、そこに記されたあらゆる情報面のうちの一つを都合よく自分なりに受け止めるので精一杯でした
さすが“物書き”とおっしゃるroadstarさんらしい、素敵な表現だと思いました
そう言う言い回しされる方って好きなんです。
なんか春樹みたいで!目が思わずハートになってしまいました・・・(照)
そうですね、この本は、安心して向き合える小説だと思います!
だから多くの人の心を掴むのでしょうね。
私も『ねじまき鳥』好きです、というか、この作品より実は『ねじまき鳥』とか、『世界の終わりとハードボイルド〜』『パン屋再襲撃』とかの方が好きだったりします。
また何かでカブりたいです♪これからもよろしくお願いします。
こんにちは、オレメデアの晃弘です(^_^)
先日は、私のブログのフラガールの記事にコメントしていただいてありがとうございました。
ところで、たいした貢献はできないかもしれませんが、こちらのブログのリンクを、オレメデアのトップページから張らせていただきたいのですが、いいでしょうか?
もしリンクがOKならば、「リンク下の紹介文(全角30文字程度)にこんな言葉を入れて欲しい」といったご要望も受け付けています(^_^)v
『海辺のカフカ 上/下』 村上春樹/著
海辺のカフカ(上巻)海辺のカフカ(下巻)文庫/2005年3月◇STORY◇レビューより「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」―15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。四国の図…
とらねこさん、こんにちは。
とらねこさん、なかなか分析されておりますね^^
この作品って、ほんっとファンが多いですよね。
読み手を選びそうですが、ロングセラーだし指示されているのでしょうね。
不思議な世界観が伝わってきます。
現実と非現実な世界が混同していますよね。
あの猫殺しと中田さんの対決。。凄かった。
あと、とらねこさんリンク貼らせてもらってよいですよかぁ〜^^
「村上春樹」の感想
「村上春樹(むらかみはるき)」著作品についての感想をトラックバックで募集しています。 *主な作品:ノルウェイの森、風の歌を聴け、羊をめぐる冒険、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド、ねじまき鳥クロニクル、海辺のカフカ、意味がなければスイングはない、東….
海辺のカフカ
村上春樹:著 『海辺のカフカ』(上・下)
ベストセラー作家というのに、村上春樹という人の作品を、
これまで私は、ほとんど読んだことがありませんでした。
大昔に 『ノルウェイの森』 と、
あとは短編をいくつか読んだくらいで、
どんな内容だったか…
TBどうもありがとうございました。
こちらからもTBさせていただきました。
よろしくお願いします。
私は哲学的な概念についての知識がなく、
この本も漠然と雰囲気をつかむような読み方しか
できませんでしたが、
この本にはとてもひきこまれました。
晃弘さんへ
こんばんは、コメントありがとうございます。
ご丁寧にありがとうございます。
うちは、リンクフリーですので、どうぞよろしくお願いします。
ヘーゼル☆ナッツさんへ
こんばんは〜♪TB&コメント、ありがとうございます!
この本、ヘーゼル☆ナッツさんも、読んでいらっしゃったのですか。
この小説は・・・ぶっちゃけ、難しかった
この小説はすっごく売れたらしいのですが、自分は、今までの作品の方が好きですねー。
でも、小説技法としては、確かに面白かったとは思います。
リンク申請ありがとうございますです
こちらこそよろしくお願いします★
miyukichiさんへ
初めまして!コメント&TB、ありがとうございました!
いやいや、私は、哲学なんて、ロクに読んだことありませんですー。
でも、私は、miyukichiさんのように、ああやって素直な感想を持つのは、この小説と向き合うやり方として、正しいものと思いました。
読ませていただきありがとうございました。
こちらこそよろしくお願いします。
とらねこさん、こんばんは〜^^
記事を移転したのでTBさせてもらいます。
TBしていただいた記事は、「本が好き・・・」からは削除するつもりですので、とらねこさんさえ、良ければ改めてTBしていただければと思います。
それじゃ、また、ヨロシクです^^
村上春樹作品の紹介
僕は村上春樹作品の目ぼしいものは読んでいます。
初めて読んだ村上春樹の作品は、やはりというか話題になった「ノルウェーの森」でした。
しかし、あまり面白いとは思わなかったので、村上春樹に対する興味は失せました。
ノルウェイの森 上
村上 春樹
(注)購入…
アッシュさんへ
こんばんは〜♪
随分と早い移転ですね★
独り立ちおめでとうございます!
TBありがとうございます、私も早速これから見に行かせてもらいますね!
とても詳しいレビューで,読み応えがありました。それからこの↓たとえ。
>『ライ麦畑〜』と、カフカの『城』とか『審判』を足し、ソフォクレスと古事記で掻き回された、ヴァージニア・ウルフのようだ。
たしかにそんな感じですね。
NJさんへ
こんばんは★初めまして!
コメントありがとうございました。
この作品はすごく好きなので、とっても嬉しいです。
>『ライ麦畑〜』と、カフカの『城』とか『審判』を足し、ソフォクレスと古事記で掻き回された、ヴァージニア・ウルフ
うーん、我ながらムチャクチャ言ってますね・・・。
でも、共感してもらえて嬉しいです。