’11年、アメリカ・フランス・イギリス
原題:Paul
監督: グレッグ・モットーラ
脚本: ニック・フロスト、サイモン・ペッグ
製作: ニラ・パーク、ティム・ビーバン、エリック・フェルナー
製作総指揮: ライザ・チェイシン、デブラ・ヘイワード、ナターシャ・ワートン、ロバート・グラフ
撮影: ローレンス・シャー
音楽: デビッド・アーノルド
キャスト: サイモン・ペッグ、ニック・フロスト、ジェイソン・ベイトマン、クリステン・ウィグ、ビル・ヘイダー、ブライス・ダナー、ジョン・キャロル・リンチ、シガニー・ウィーバー、セス・ローゲン
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’10年、カナダ・フランス
原題:Splice
監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ
脚本:ヴィンチェンゾ・ナタリ、アントワネット・テリー・ブライアント、ダグ・テイラー
製作総指揮: ギレルモ・デル・トロ、フランク・コロー、スーザン・モントフォード、ドン・マーフィー
製作:スティーブン・ホーバン
撮影:永田鉄男
キャスト: エイドリアン・ブロディ、サラ・ポーリー、デルフィーヌ・シャネアック、デヴィッド・ヒューレット
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’11年、アメリカ
原題:Source Code
監督:ダンカン・ジョーンズ
脚本:ベン・リプリー
製作:マーク・ゴードン、フィリップ・ルスレ、ジョーダン・ウィン
製作総指揮:ホーク・コッチ、ジェブ・ブロディ、ファブリス・ジャンフェルミ
撮影:ドン・バージェス
音楽:クリス・ベーコン
キャスト:ジェイク・ギレンホール、ミシェル・モナハン、ヴェラ・ファーミガ、ジェフリー・ライト
「映画通ほど騙される」という、この手のよくある余計な広告文は半ばウンザリしもはや読む気にすらなれなくて、サクっと無視していた。もちろん見る気になったのは、去年の『月に囚われた男』が面白かった、ダンカン・ジョーンズ監督だったから。今作ではジェイク・ギレンホールを、前作『月に囚われた男』ではサム・ロックウェル!(大好き!)を主役に据えている辺り、センスいいなー!と思っちゃう。
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’11年、イタリア
原題:the Last man on Earth
監督/脚本 : ジャンニ・パシノッティ
プロデューサー : ドメニコ・プロカッチ
原案/コミック : ネッスーノ・ミ・ファラ・デル・マーレ・ディ・ジャコモ・モンティ
撮影監督 : ヴラダン・ラドヴィッチ
音響監督 : アレッサンドロ・ビアンキ
キャスト:ガブリエーレ・スピネッリ、アンナ・ベッラート、ルカ・マリネッリ、テコ・チェリオ、ステファノ・スケリーニ、ロベルト・エルリツカ
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’11年、アメリカ
原題:Transformers : Dark of the Moon
監督:マイケル・ベイ
製作:ドン・マーフィ、トム・デサント、ロレンツォ・ディ・ボナベンチュラ、イアン・ブライス
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ、マイケル・ベイ、ブライアン・ゴールドナー、マーク・バーラディアン
脚本:アーレン・クルーガー
撮影:アミール・モクリ
美術:ナイジェル・フェルプス
編集:ロジャー・バートン、ウィリアム・ゴールデンバーグ、ジョエル・ネグロン
音楽:スティーブ・ジャブロンスキ
キャスト:シャイア・ラブーフ、ジョシュ・デュアメル、ジョン・タトゥーロ、タイリース・ギブソン、ロージー・ハンティントン、パトリック・デンプシー、ケビン・ダン、ジュリー・ホワイト、ジョン・マルコヴィッチ、フランシス・マクドーマンド、アラン・テュディック、ケン・チョン、グレン・モーシャワー、レスター・スパイト、バズ・オルドリン
出た、予告編が一番出来のいい映画。
はぁー。全然見る気はなかったのに、予告で見ているうちに「とにかく映像凄そう!」と思ってついつい観に行ってしまいました。このシリーズ、マイケル・ベイが昔から「好きな監督の200位」に入ったことがない、そんな私の意見なので。スルーしてもらって全然結構です。
ちょっとこれ、長すぎない?あと40分は削っても良かったんじゃないか。お金がかかっていようが、世界最先端の映像技術を使っていようが、退屈なものは退屈。映像の凄さとストーリーのダメさが反比例していると、より一層空しくなる、ということを嫌でも感じてしまいます。一番お金がかかってそうな、あの高層ビルの倒壊シーン、あれが終わった後は、もうすっかりお腹いっぱいになって、意図的に寝てしまいました。起きる気はなかったです。それでも、時々目を覚ませば、まだやってるんですよね。・・
ガシャガシャガシャン!と機械を組み立てるのと、おかしなセンスのお笑いが入るのと、ギャーギャー言いながらアクションするの、この3つが永遠にループされるので、途中でその芸の無さにウンザリしました。機械がガシャガシャ組み立てるのって、このシリーズならではの面白さなんじゃないか、と勝手に予想していたので、こんなに「普通」だとは思いませんでした。しかも何度も繰り返されると、全く有り難みが無くなりますね・・。
ジョン・マルコヴィッチやフランシス・マクドーマンドのようなベテラン俳優を起用していたり、パトリック・デンプシーやジョン・タトゥーロが脇を固めているのは個人的には嫌いではなかったです。まあ使い方が中途半端ですけどね。降板されたミーガン・フォックスが好きなので、せっかくだから彼女が良かったな。今回のガールフレンドは脇役っぽいイメージ。
シャイア・ラブーフは演技力のある俳優だと思うし、スピルバーグにも将来を嘱託された若手俳優だと思うけど、出る映画は選んだ方がいいんじゃなーい?そのスピルバーグが関わっているから彼なんだろうけど・・。すっかり興味を失ってしまったよ。『ニューヨーク、アイラブユー』とか良かったのに、マイナスに逆戻り。
マイケル・ベイは、ホラーに関わってる方がずっといいよ。ホラーだとあの下世話な趣味が幸いして、映画も面白くなるんだけどね。『テキサス・チェーンソー』とか’09年の『13日の金曜日』とか結構好きだったし。
P.S.このシリーズ、1の方が断然面白いじゃん!両親が部屋にバット持ってやって来たり、「マスターベーションしてたの?」とママが聞いたり。パパは「それは息子と父の会話だぞ」「じゃあ、言い換えてもいいのよ。サムのハッピー・タイム、もしくはプライーベートな一人の時間」とか、ママが言ったりして、噴いちゃった!ジョン・タトゥーロはYシャツ脱いだら「セクタ−7」をもじった、スーパーマン型Tシャツ着てるし。ジョークもアクションもストーリーも1の方が面白かったよ。2はジョークだけ3より面白いかな。
※ストーリー・・・
宇宙の戦士トランスフォーマーのオプティマス・プライムやバンブルビーと固い友情を築いた若者サムに、新たに迫る危機。悪のトランスフォーマー集団ディセプティコンが、強力な秘密兵器を擁して3度彼らの前に立ちはだかる。地球を舞台にした最終決戦の行方は・・・
・トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン@ぴあ映画生活
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’11年、アメリカ
原題:Red Riding Hood
監督:キャサリン・ハードウィック
製作:ジェニファー・デイビソン・キローラン、レオナルド・ディカプリオ、ジュリー・ヨーン
脚本:デビッド・レスリー・ジョンソン
製作総指揮:キャサリン・ハードウィック、マイケル・アイルランド、ジム・ロウ
撮影:マンディ・ウォーカー
美術:トム・サンダース
編集:ナンシー・リチャードソン
編集:ジュリア・ウォン
音楽:ブライアン・レイツェル、アレックス・ヘッフェス
キャスト:アマンダ・セイフライド、ゲイリー・オールドマン、ビリー・バーク、シャイロー・フェルナンデス、マックス・アイアンズ、バージニア・マドセン、ルーカス・ハース、ジュリー・クリスティ
赤ずきん映画が好きだ。「赤ずきん映画」といきなり言われても、何のことか分からないかもしれないけれどw。何故かこれまでも、『ハードキャンディ』、『リトル・レッド レシピ泥棒は誰だ!?』など、赤ずきんをテーマにした映画にハマることが多くて。童話や昔話を現代風にアレンジしたもの、例えば太宰治の『お伽草子』もそうだけれど、結構好きだったり。
・・・そんな訳で、この作品も見に行ってみた。
結論から言うと、期待しなかった割にはそこそこ面白かったけれど、どこか不満が残る作り。まるで少女漫画のような展開なので、この手のタイプが好きな人には結構楽しめるかもしれない。嫌いではなかったですよ。少女漫画が好きだった私なので、全面否定している訳ではないんですよね。ただやっぱり、少女漫画チック。良くも悪くも。
現代風にアレンジしながらも、どこか確実に遮断された外の世界のよう。そんなファンタジー風味は決して嫌ではない。犯人も誰かは意外と分からず。なぜなら、どの人もこの人も怪しく見えるから(笑)。
人間に化けている人狼が誰かを突き止める、という疑問が、ストーリー後半を引っ張っていく。疑心暗鬼を助長するような演出がちゃんと出来ているので、最後まで見れる吸引力はそこそこあると思うのね。普通なら、村を助けるためにやって来た神父も、ゲイリー・オールドマンが演じているからか、もう初めから怪しい。助けるために来たはずの人が怪しいってのはどういうことなの?!w・・・なんて思いつつも、彼を筆頭に、ワイルドな割にどこか信用出来無そうな恋人も怪しければ、主人公に心を寄せる気の弱そうな男も怪しい。狼が化けているかもしれないお祖母ちゃんもちゃんと怪しいし・・・。
ただ個人的には、それほど楽しみは見出せなかったかも。パッとしたイケメンも出ていないし、アマンダ・セイフライドも個人的にそれほど好きでもないし、何を楽しみに見たらいいのか分からずw。やっぱり少女漫画テイストは卒業かも、な私なのでしたw。それほど悪くはないので、期待しなければまあまあ面白いかも。
※ストーリー・・・
両親から裕福なヘンリーとの結婚を強制されたバレリーは、恋人のピーターと駆け落ちを考える。一方、長らく動物の生贄を捧げられてきた狼男が人間の生贄を要求。月夜のたびに村人の命が奪われていく中、バレリーはピーターこそが狼男ではないかと疑いを持つ・・・
・赤ずきん@ぴあ映画生活
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’11年、アメリカ
原題:Super 8
監督・脚本:J・J・エイブラムス
製作:スティーブン・スピルバーグ、J・J・エイブラムス、ブライアン・パーク
撮影:ラリー・フォン
美術:マーティン・ウィスト
編集:メリー・ジョー・マーキー、メリアン・ブランドン
音楽:マイケル・ジアッキノ
ジョエル・コートニー : ジョー
エル・ファニング : アリス
カイル・チャンドラー : ジョーのパパ
ライリー・グリフィス : チャールズ
ライアン・リー : ケリー
ガブリエル・パッソ : マーティン
ザック・ミルズ : プレストン
スピルバーグのオマージュが逆に新しい、とは!なるほどそうか。最先端を行きすぎて、すでに一回転した感じのJ.J.エイブラムス。やっぱやり手ですわー、この人。一本取ったり!・・・て感じの、爽快な佳作。
タイトルに『SUPER 8』とあるだけあって、映画作りと、そこに偶然映ったもの、これが物語のポイントにもなってくる。作品タイトルが昔の8ミリフィルムの登録商標であった、という、ここが自分には面白く思えたのだ。映像技術がどんどん革新され、新しい時代の到来を感じさせながら、むしろ行き止まりのような息苦しさすら感じはしまいか、この現在の映画業界を鑑みるに?そんな中、堂々の「スーパー8ミリ」と来たもんだ。
嗚呼、80年代のスピルバーグ!僕らはこの黄金期のスピルバーグに、どれほど夢を与えられたことだろう!この名に関連する新作の一作一作を、どれほど楽しみにしていたことだろう。洋画を初めて見たのも、洋画が好きになったのも、スピルバーグから、という人も世界中にいるのではあるまいか?SFの楽しさが科学と未来への憧れに直結していた、そんな時代。
J.J.エイブラムスのスピルバーグオマージュは、懐かしさいっぱい。まるで宝の山を前にした少年少女の気持ちに戻る。主人公もそれぐらいの歳なのだもの、スンナリ子供心に帰ることが出来た。
まるで『未知との遭遇』に『E.T.』が出会い、『グーニーズ』のエッセンスを加えたような楽しさ。『ニューヨーク東八番街の奇跡』、『宇宙戦争』、etc,etc…。
私はついこないだ、偶然にも『世にも奇妙なアメージング・ストーリー』を片っ端から借りて見ていた。すると不思議なことに、スピルバーグが監督をした回のみ、強烈な印象で心に残っていたのだった。「これが面白かったんだよー、この後が楽しくてさ・・・」などと言いながら見ていたのだが・・・。告白するが、今見るとかなり陳腐な話であった。単純明快。善意は通じ、悪は必ず露見する。そこには明らかな物語の定型パターンがあり、だからこそ安心して楽しむことが出来た。子供の頃の私には。ところが今見ると、「安全に着地するはずの価値判断」は、単に退屈に感じてしまうのである。特に短編の「奇妙なお話」を揃えたシリーズであるからこそ余計に。
同様に、この作品のラストで描かれたような「善意が必ず通じるお伽話」的な唐突さには、途端に興味がしぼんでしまった。ラストのクリーチャーがいかにもアレな風貌であるから、このラスト部分が何にオマージュを捧げているかは一目瞭然だ。
しかし、子供の真っ直ぐな心だからこそ、善意は通じ、共感が生まれる。だが、この単純な善意の呼びかけこそ、911を(そして311も)経験した我々に、逆に新鮮に感じさせるものでもあるのだ。
※ストーリー・・・
’79年、合衆国政府はネバダ州の空軍基地エリア51を閉鎖。すべての研究素材はオハイオ州の別施設に極秘のうちに列車で移送されようとしていた。だが、列車が事故に遭い、荷の中から“何か“が姿を現わす。スーパー8ミリ・フィルムが捕えていた、その正体とは!?・・・
・SUPER8/スーパーエイト@ぴあ映画生活
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’09年、日本
監督・原作・美術:塚本晋也
シニア・プロデューサー:塚本晋也、豊島雅郎
プロデューサー:川原伸一、谷島正之
脚本:塚本晋也、黒木久勝
撮影:塚本晋也、志田貴之、林啓史
音 楽:石川忠
キャスト:エリック・ボシック、塚本晋也、桃生亜希子、中村優子、ステファン・ザラザン
鉄男が帰って来た。
かなり前からチラシが配布されてて、「うおっ!!」と、行く気満々だったこの作品。
もうねー、「相変わらずです!塚本監督!」という言葉しかもう出て来ない。いやだけど、それでいいと思う。
それで十分だと思う。他に何か要りますかね?
シネマライズで見たけれど、これまたものすごい爆音だったよ。
「爆音映画祭」という名の吉祥寺バウスシアターのシリーズがあって、私も前に行ったけれど。負けないぐらいのものすごい爆音でした。
これは、劇場で見るべき映画!
「オマエんちの小さいTVで見ても面白くないよ」←宇多丸の真似
20年後に自分の作品をもう一度作り直してそれが全編英語。これって、考えてることが『ファニー・ゲームUSA』のミヒャエル・ハネケと大体一緒じゃないですかね?とか言ったらファンに怒られるのかな?
ハハハッ、ごめんなさい。でもハネケの場合は、英語セルフリメイク自体が最大のdisで面白かったけど、そういう点はないか(笑)
なんでも、本当は20年近く前に、この作品、3を作る予定だったらしい。ジョニー・デップを起用しようとしていたとか、タランティーノの名前も上がったとか、いろいろと経てようやく、のこの作品。かなりの難産だったとか。
でも、英語で作ろうとか、外国を舞台にしようというコンセプトはずいぶん前からのものなのね。
「暴力に鈍感なバーチャルシティ、としてのニューヨーク」を撮ろうとしていたけれど、’01年9月を経てしまって、それもダメになったんだって。
いやはや、音の洪水、映像の洪水!
とにかく独特な、独特すぎる世界観は相変わらず。愛変わらず(笑)♪
メタル疾走感ていうか、黒が銀光りするんですよね、この人の絵って。
ピターって肌に来るような、冷たい温度まで感じる映像。
その肌の一枚下には、ものすごいマグマがあるような、熱くてドロッとした悲しい情念みたいなものが溢れている。
今回、ただ単に訳分からない、てほどでもなくて、
ちゃんと物語として破綻のないように作られている、という印象。
だからって疾走感が落ちることはなく、振り落とされた人は「どひゃー」って落っこちるのみ、なんだけどさw
ちゃんと武器たるものが怒りと防衛から来ている事を描いているし、その矛先がどこに向かうかを見つめようとしている。
と思えなくもないですよ(笑)
ストーリー・・・東京在住の会社員アンソニーの3歳の息子が謎の男に殺された。解剖学者だった父の「絶対に怒りの感情を持ってはならない」という忠告に反して怒りで 我を見失った彼の体は、何と鋼鉄の凶器に変貌してしまう。やがてアンソニーの体に隠された秘密が明らかに・・・。
・
鉄男 THE BULLET MAN@ぴあ映画生活
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’09年、アメリカ
原題:Avatar
監督・脚本:ジェームズ・キャメロン
製作:ジェームズ・キャメロン、ジョン・ランドー
製作総指揮:コリン・ウィルソン
撮影:マウロ・フィオーレ
美術:リック・カーター、ロバート・ストームバーグ
編集:スティーブン・リフキン、ジョン・ルフーア、ジェームズ・キャメロン
音楽:ジェームズ・ホーナー
この作品を見ると、3D映像とこれまでの映画のあり方について、思わず考えてしまうものがあった。
3D映像を目の前にすると、観客は自分が物語の対象へと、より主観的に入っていく映像体験が出来るのだろうか?
マクルーハンのメディアの法則で有名になったという、反射光透過光の意義について、分かりやすくまとめていた著書があった。丸田一氏『「場所」論—ウェブのリアリズム、地域のロマンチシズム (叢書コムニス08)
』を引用させていただく。(松永英明氏のサイト『絵文録のことのは』を参照)。
まず、確認したいのが、「透過光」がもたらす「距離埋没効果」である。パソコンのモニター、携帯電話をはじめ、ウェブ空間のインターフェースは、ほ とんどが透過光によるスクリーンである。スクリーンにはブラウン管や液晶、有機ELなど様々な映像表示方式が採用されているものの、どれも発光源を持ち、 スクリーン表層を透過する光線で画面を表示することに変わりない。透過光による表示は、反射光の表示に比べて現前性が高く、利用者の身体とスクリーンとの 間に横たわる十数センチ〜数十七ンチという距離を埋めてくれる。
透過光が強い現前性をもたらすことは、マクルーハンも『メ ディアの法則』[★125]で指摘している。マクルーハンは、映画の観客を二分して、一方には普通の映画と同じように反射光によって、もう一方には透過光 によって同じ映画を鑑賞させるというハーバート・クルーグマンの実験を取り上げている。反射光のグループの感想は、映画を物語や技術に注目して理性的に分析し、批判する傾向が優位を占めたのに対して、透過光のグループでは、好き嫌いという情緒的で、主観的な反応が優位を占めた。
反射光の映画において観客は、スクリーンと身体との物理的な距離を保ったまま、対象としてスクリーン上を見ている。この距離が映像を対象化し、観客に分析 的で批判的な見方を与える。一方、透過光のテレビでは、スクリーンを越えて到達する光に視聴者が深く差し込まれてしまうので、映像は実際のスクリーン面か ら離れて、観客の目や身体を擬似的なスクリーンにして現前する[★126]。このように透過光の場合、観客は対象とうまく距離をとれず、場合によっては対 象と位置的に重なってしまうことが、観客に情緒的、主観的な見方を与えるといえるだろう。
ところで、パソコンのスクリーンを眺めていても発見できない誤字脱字が、プリントアウトすると容易に見つかるという経験は、誰もが一度はあるのではないだろうか。これも「反射光と透過光」 である程度説明ができる。スクリーンの透過光で文字を読んでいても見逃しがちな誤字脱字は、プリントアウトした紙の反射光で読むと、対象を分析的、批判的 に捉えることができるので、より発見されやすいといえる[★127]。
このように現前性の強い透過光が、ウェブ空間のイン ターフェースに用いられているのは偶然ではないだろう。現前性の高い透過光は、スクリーンと利用者の身体との。間にある物理的な距離を埋没させ、スクリー ンを没対象化させてしまう。これがスクリーンというインターフェースを準没入型に変えるのである。
デジタル3Dの映像技術がいかに最新のものになろうとも、反射光を用いて上映されたものであるなら、3Dであるからという理由のために、「対象により深くへと入っていく」、という特性を持っているとは言えないのでは?
むしろ3Dであるからこそ、眼前の対象に対して、「自分との距離」、というものについて、常に意識させるのではないか、と私は思う。
自分が映像の世界へ入っていくために、より主観的となりえるもの、その要因は、では何だろう?私は、「いかにその物語の世界へ入っていくか」、という昔ながらの「想像力の世界」ではないか、と考えたりもする。
※’10.2.12追記その他 参照HP 「
箪笥飛翔 -評論-」
(み さま のコメントにより。みさま、ありがとうございました!! )
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