1★永遠の僕たち

’10年アメリカ
原題:Restless
監督: ガス・ヴァン・サント
製作: ブライアン・グレイザー、ロン・ハワード、ブライス・ダラス・ハワード、ガス・ヴァン・サント
製作総指揮: エリック・ブラック、デビッド・アレン・クレス、フランク・マンクーソ・Jr.
脚本: ジェイソン・リュウ
撮影: ハリス・サビデス
音楽: ダニー・エルフマン
キャスト: ヘンリー・ホッパー、ミア・ワシコウスカ、加瀬亮、シュイラー・フィスク、ジェーン・アダムス、ルシア・ストラス、チン・ハン

 

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ゲーテの恋 君に捧ぐ 「若きウェルテルの悩み」 #65

’10年、ドイツ
原題: Goethe!
監督:フィリップ・シュテルツェル
製作:クリストフ・ムーラー、ヘルゲ・ザッセ
脚本:フィリップ・シュテルツェル、クリストフ・ムーラー、アレクサンダー・ディディナ
撮影:コーリャ・ブラント
美術:ウド・クラマー
音楽:インゴ・L・フレンツェル
キャスト:アレクサンダー・フェーリング、ミリアム・シュタイン、モーリッツ・ブライブトロイ、フォルカー・ブルフ、ブルクハルト・クラウスナー、ヘンリー・ヒュプヒェン

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ブルーバレンタイン #29


’10年、アメリカ
監督・脚本:デレク・シアンフランス
脚本:ジョーイ・カーティス、カミ・デラビーン

 

ライアン・ゴズリング  : ディーン
ミシェル・ウィリアムズ : シンディ
マイク・ヴォーゲル   : ボビー
フェイス・ウラディカ  : フランキー

 

「恋」について描いた物語なら、片思いの一方通行な純粋さこそが一番面白い、と思っている私は、『(500)日のサマー』がとても好きだ。でも、「愛」について描いた物語であるなら、その愛が泥沼にいつしか成り変わってゆき、愛が崩壊する物語にシビれてしまう。ちょうどこの作品のように。

こちらもまた、愛という幻想をお互いに抱き、自分たちの愛こそ本物だと感じたその果てに、いつしか手からスリ抜けていく物語だった。出会いのワクワクする感じと、日々の暮らしの中で、次第に絶望へと形を変えてゆく姿を描いている。素晴らしく満足度の高い、恋愛映画を久々に見たな!という感じ。この確かな手応えがとても嬉しい。

しかも、シーンごとに台詞が決まっていたわけではなく、まるでジョン・カサヴェテスのように、俳優たちの即興によって演じられていったのだという。そんな話を聞いてしまったものだから、余計に映画ファンにはグッと来るじゃない?映像技術の素晴らしさや、タイトルロール、エンドクレジットの格好良さばかりでなく、最初から最後まで無駄なシーンを一つとして感じさせない。これまた、注目すべき映画監督が一人増えたな、というこの喜び。

物語の構成は『(500)日のサマー』同様に、時間軸に沿って進まない。どこかお互いにスレ違いのある日常風景から始まる。ここの一場面を見ただけで、この二人に幸せなエンディングが迎えられないことが示されている。状況説明的ナレーションが全く必要ないまでに、心理に肉薄したカメラ。二人の顔を寄り画で映すにしろ、変わった角度だったりして、そうした辺りも面白くて目が離せない。観客には顔の筋肉の動かし方で、二人の気持ちが手に取るように読める。でもお互いにはどこか見えていない部分があるのだ。愛し合うが故に、真実の姿そのものを見ることが出来なくなるあの瞬間は、私たちも経験したことのある、あの「日常に点在する相手への小さな幻滅」。

物語は、元々内包していたお互いの問題点が次第に浮き彫りになると同時に、一番幸せだったあの時代がクローズアップされているところが、どうしようもない程切ない。出会いのシーンがあまりに美しくて胸を打つ。でもあの出会いのシーンは、男の側の目線なんだよね。より相手を愛しているのは男の方で、ロマンチックなのも男の方。女の方はより現実的で、でも彼女の方がずっと世間的に見れば立派な人間だ。男の方は、愛すべきダメ人間。でも彼の方がより子供で。子供と同じような目線で遊ぶことの出来るお父さんは、彼の方が精神的に子供であったことを示してもいるのかも。

「恋愛映画がイマイチ好きでない」と言う人の中には、相手と自分との「自我の境目」が区別がつかなくなるほどに、相手にのめり込んだ、そうした経験がない人なのではないか。などと私は考えている。相手を別の個として見ることをやめ、自分の一部として考えているが故に、相手に対する欲求も増えるし、思いやりも次第になくなっていったり。

この間、結婚してハネムーンに行ったばかりの若いカップルと飲んだ。彼らは二人とも、大学卒業するかしないかの年齢である。ほぼ1年間ゲームばかりして遊んで居たこともある、などと云う。PC好きが高じて、ネット関係の仕事についた途端に優秀さを発揮する妻は、見た目からして幼く、いかにもオタク好きしそうな萌え系ルックス。夫の方は、本当に頭が良いが故に普通の人の価値観を全く有していない、東大を辞めてしまった変わり者。途轍もない風変わりなカップルだ。

彼女からも彼からも、普段普通の人がするような、退屈な会話は全く出て来ない。奥さんの方は、旦那の朝勃ち写真を私に見せてくれたり、SMが高じて首締めプレイをした、などという初対面に全くそぐわない話が飛び出す。とても面白いのだけれど、私は全然違うことを考えていた。彼らの結婚生活は、どの位続くのだろう。彼らは、彼らの世界には誰もついて来れないぐらいの、濃密な関係性を有しているようだ。お互いが遊び道具のように、ずっと一緒に居ても退屈はしないのだろう。世界には彼らしか居ない、と思えるのだろう。一方で私たちといえば全く逆で、世間並の価値観しか有していない、慎ましやかな好ましい関係性を維持していた。彼らのその濃密さが私には羨ましく、またつっ走る若さが羨ましくも、懐かしくも感じた。彼らが長続きすれば良いが。などと、大人目線で考えている自分を発見した。

 

※ストーリー・・・
ディーンとシンディは、結婚7年目の夫婦。夫の仕事は芳しくないものの、妻の稼ぎもあり、娘と家族3人でつつがなく暮らしている。だが、夫婦はパートナーに対する不満を互いに抱えたまま。それを言葉にしたら今の生活が崩れると分かっているから口にしなく・・・

 

 

ブルーバレンタイン@ぴあ映画生活

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ノルウェイの森 #23


2010、日本
監督・脚本:トラン・アン・ユン
原作:村上春樹
プロデューサー:小川真司
エグゼクティブ・プロデューサー:豊島雅郎、亀山千広
撮影:リー・ピンビン
音楽:ジョニー・グリーンウッド
主題歌:ザ・ビートルズ

 

松山ケンイチ : ワタナベ
菊地凛子   : 直子
水原希子   : 小林緑
キズキ    : 高良健吾
永沢     : 玉山鉄二
レイコ    : 霧島れいか

 

トラン・アン・ユンの『ノルウェイの森』は、まるで村上春樹の文章のような世界の構築の様式をしていた。丁寧により分けられ、ふるいにかけられた言葉たち。それらは現実味がない、と思われることもある。物事のありようを彼の言葉で捉え直すことは、この映画でトラン・アン・ユンが(もしくはリー・ピンビンのカメラによって)フレームに収めることと何だか似ていた。

ハルキ世界の人物たちのダイアローグが、実際に映像と音で発されると、トンチンカンな響きをもっていた。現実の重みを排除した表象が、初めてこの世で響いたかのように。それが見ているものをとてつもなく落ち着かない気持ちにさせる。だが、そこがいい。この感覚は留保無く新しい。私にはとても衝撃だった。映像の美しさとフレームの確かさに心を打たれながら、思いもかけないほど座りの悪いこの感覚は何なのだ。しかしハッとするのは、それこそが村上文学の真骨頂であることだった。美学により発せられた、ハルキ・ワールド・ワンダーランド。

何より、『ノルウェイの森』を読んだ時のあの感じがみずみずしく蘇って、忘れていた泉に水がもう一度湧き上がるような思いがする。こういうからと言って、私がこの作品の大ファンだったわけでもない。あのスカした感じはなんなのよ、と心のどこかで反発する思いがあった。そんなものまでしっかりとあの映画が思い出させてくれた。しかし今こうして見ると、主人公が森を彷徨うとき、深く精神が傷つき当てどもなく打ちひしがれているとき、自分の苦しみがそこに描かれているのを見ることが出来た。より深く森の中に入り込むことができた。当時には若すぎて理解出来なかったあの主人公の抱えていた物事の重さ、葛藤や苦しみを感じることが出来た。こうした共有を得られたひとには、この作品は文句ない佳作だ。

唯一いただけない部分があるとすれば、ビートルズ『ノルウェイジャン・ウッド』の演奏が恐ろしく下手なところで、あれには思わず怒り狂うところだった。ビートルズのファンでない自分ですらこう思うのだが、あの曲を聴いたことのない人にも(そんな人が居るとは思えないが)その思いは分かってもらえそうなほどだ。付け加えるなら、ラスト間近のレイコさんとのセックスシーンの唐突さも。そうした欠点を抜かせば、とてつもなく素晴らしい作品だった。トラン・アン・ユンをこれまで見ていた人で、この作品だけ文句言う人はおそらく居ないだろう、ということだけはハッキリしている。

ストーリー・・・ドイツ行きの機内で“ノルウェイの森“を耳にしたワタナベは18年前に恋に落ちた直子のことを思い出す。直子は親友キズキの恋人であったが、キズキはある日突然自殺をしてしまう。ワタナベは誰も自分を知る者がいないところで生活を始めようと、東京に出るが……

ノルウェイの森@ぴあ映画生活

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■53. わたしの可愛い人 シェリ


シェリ’09年、イギリス、フランス、ドイツ
原題:Cheri
監督:スティーブン・フリアーズ
製作:ビル・ケンライト
原作:コレット 『シェリ』
脚本:クリストファー・ハンプトン
撮影:ダリウス・コンジィ
音楽:アレクサンドル・デプラ
美術:アラン・マクドナルド
編集:ルチア・ズケッティ


ミシェル・ファイファー  レア
ルパート・フレンド  シェリ
キャシー・ベイツ  マダム・プルー
フェリシティ・ジョーンズ  エドメ
イーベン・ヤイレ  オーマリ=ロール
ナレーション  スティーブン・フリアーズ


まず、高級娼婦(ココット)の話ってすごく面白い。美貌と知性を兼ね備えていて、ほんの数秒で相手を自分の魅力で心を動かすことができる。人心掌握術に長けているって、なんて素敵。
女性にとって、いつまでも年を取らずに美しくいることができるって、それだけで尊敬に値する。しかし、年を取ったらどうなるんだろう?って、凡人の私には意地悪に考えてしまう部分がある。だから、この物語を見るのはとても面白かった。憧れと好奇の眼差しとで、学ぶところが多くて。(だからと言って、それを活かすことは出来ないのだけどなー。)

この物語はいわば、全てを手に入れた後の人間の物語。美貌を活かし、知識を蓄えて富豪になった後、どう生きるのか。一般的な人間の持つ愛や情熱とはどう違うのか・・・。

40代になり、高級娼婦を引退した後も美しく居続けることのできるレアの、気の利いたドライなトークが心地いい。言葉にウィットと軽さをを与えることができるレアが、19歳の青年をとりこにした・・・というあらすじも、納得のいくもの。
いくつになってもチャーミングなミシェル・ファイファーが演じているから、それだけで見る価値がある。

「一緒に居る時に、自分が自分自身で居られる人を探せ」。私の友人は、私が24の時にそう言っていた。この言葉は、いまだに思い出すことがある。
無理したり、取り繕ったり、そういうことをしなくても済む相手が一番長続きする、って。

元高級娼婦のレアにとって、シェリは、自分自身がとても気楽なまま一緒に居られる相手だったよう。母と息子ぐらい年が違う相手なのに。
気づいたらそこから何年も経っていて、その年月は振り返ることなく過ぎていった、楽しい期間・・・。
そろそろケジメのため結婚をさせようとした母親、マダム・プルーがレアからシェリを引き離すまで、レアにとっては恋愛ごっこは、単なる遊びでしかなかったよう。
シェリと離れることになり、さすがいい女らしく、気前よく手を引いて見せる。その後で一人泣く姿を人には見せず。

レアとシェリは、年こそ離れているものの、いろんなバランスが取れた間柄だったのだろうと思う。
私はよく、恋人同士や夫婦などのカップルを見て、「バランス」ということを考える。
カップルが釣り合いの取れていない様を、「美女と野獣」なんていうけれど、美女はただ単にルックスがいいだけで、その野獣とは、何かの点で釣り合っているのだ、と私は考える。若い女性と金持ちの老人も、精神的にもしくは経済的に、お互い補い合って相互に釣り合いが取れているのかもしれない、と。

相手を縛らず、未来も保証せず、ただお互いの楽しみのために一緒に居る。そんなレアとシェリの生活は、途方もなく楽しいものだったのだろうな。
二人は、恋愛の一番美味しい部分を味わっていたのかも。相手を縛らず、縛られもせず。

酸いも甘いも噛み分けたレアだから、理想的な関係が終わってしまった事に対して、その意味も分かっていたはず。だからこそ、潔く引いて見せた。
相手はそこまでの考えなく、レアの元に戻って行った。これを、本当の愛と見誤ってしまったこと・・・。この気持ちは、なんだか分かる気がする。おそらく、いくつになっても本気の恋は、どんな人であっても希望的観測から、その全貌を冷静に見渡す事ができないのかもしれない。

シェリは本当にイイ男だったのだろうな。見た目がイイ男なだけじゃない、使う言葉やその精神がとても興味深くて、思わずメロメロになってしまう感じの。
レアがいくつになっても若いのは、情熱を傾けることが出来る人であるからかも。




ストーリー・・・
ベル・エポックのパリ。富と名声を手に入れた元ココット(高級娼婦)のレアは、40代にして今なお輝き続け、優雅な生活を送っていた。そんな中、元 同業のマダム・プルーから、彼女のひとり息子で19歳にしてすでに女遊びに飽きている問題児・シェリを紹介され・・・


わたしの可愛い人-シェリ@ぴあ映画生活

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■11. 渇き


渇き’09年、韓国、アメリカ
原題:Bak-Jwi
監督:パク・チャヌク
製作:アン・スヒョン、パク・チャヌク
脚本:チョン・ソギョン、パク・チャヌク
撮影:チョン・ジョンフン
音楽:チョ・ヨンウク


ソン・ガンホ  サンヒョン
キム・オクビン  テジュ
シン・ハギュン  ガンウ
キム・ヘスク  ラ夫人
パク・イヌァン  車椅子の老神父


パク・チャヌクがバンパイアを描く!?しかも、ラブシーンたっぷりの予告。
それも(イケメンではない)ソン・ガンホのラブシーン・・・うーむ。ソン・ガンホは面白い俳優だけど、ラブシーンが見たいか?って言ったら、別にそこは別に要らないんだけどネ、なんて、苦笑いしながら挑んだこの作品。

でこちら、やっぱり期待にそぐわない、とても面白い作品だった。ただ、一部の人にしか喜ばない感じは、どこかしらあるかな・・・なんて思いきやこの作品、ちょーっと待ったあ!カンヌの審査員賞を受賞してしまっている!よぉーしっ、パク・チャヌクの新時代、来たり!なんて喜んだよ私。

初めは、信仰について描いたのかと思った。神父という職業を選んだ者が、まるで十字架に背くかのような、血に飢えたバンパイアという姿に身を落としてしまう。
それもまるで、キリストの復活をチラと思い出させるようなやり方で。
うわーっ、その切口で来るのか、パク・チャヌク!今回ちょっと、手に余るカナ・・・と、思ったのも束の間。
やはりどんなものを描いても、高尚過ぎたりはしないのでした。もちろん、全く退屈しない。

狂おしいまでにエロチックで、血にまみれたこの世界を、
どっぷり堪能した。

欲望というあの、頭の中を空っぽにさせ、そのことしか頭になくなってしまう、あの感じが、
何て見事に描かれているのだろう!

人間社会というものから背徳の道を選んだ、二人のカップルの姿がそこにあった。

私は、愛を等身大に描いた作品だ、と思ったよ。
愛という地獄に落ちた、二人の姿を描いたものだ、と。
その喜びも苦しみも、葛藤も全て。

愛、と一口に言ってしまっていいのかな?いや、違うかもしれない。
それこそ、”渇き”と言い換えられるかもしれない。
だって、”愛”って言葉は美しすぎる。欲望、というとまだ弱い、”渇き”って言葉はまるでぴったりだ!

この煉獄に落ちたことはある?
そんな人には、この映画はよく分かるかもしれない。
まるで自分の思いを意に介さないかのように、相手とはスレ違うばかり。

そしてこの映画にはまるで、男と女の違いすら描かれているように、私には思えてしまったのだ。
女の方がより業が深く、コントロール不可能で、彼女のせいでどんどん罪が深くなってしまう。
相手を思ってもスレ違ってばかりで、まるで違う惑星同士かのように、
共存するのが難しい存在。
それが、男と女なのだ、って。

この先、ネタバレ::::::














彼女をバンパイアとして生き返らせるその瞬間に、そこに蛇が横たわっているが、その瞬間は、悪魔の誘惑を描いているようだ。
二人は、背徳の世界のアダムとイブなのだ。
人間世界という楽園から追放された、彼らたった二人だけの世界。

物語の中盤で、サンヒョンは「私は、病気に罹ってしまったのです」という台詞を吐く。
これは「病気」=「愛」だ、と私は思った。

相手を欲するその気持ちが故に、相手を守ろうとするが故に、罪深くなってしまうサンヒョン。

「病気」、と言い切り、愛と言う言葉を使わない、この映画を、
私は心から支持する。


ストーリー・・・
致死率100パーセントという謎のウイルスのワクチン開発のため、危険な人体実験に臨んだ神父のサンヒョン。輸血により一命をとりとめた彼は、ある日、幼馴染みガンウの妻ジュと出会い情事に溺れていく。と同時に自分の体に起きたある異変に気付くのだが・・・


渇き@ぴあ映画生活

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タンゴ・シンガー ▲156


タンゴ・シンガー’09年、ベルギー、アルゼンチン、フランス、オランダ
原題:La Cantante de Tango
監督:ディエゴ・マルティネス・ビニャッティ
脚本:    〃
撮影:    〃


エウヘニア・ラミレス・ミオリ  エレナ
ブリュノ・トデスキーニ 
アンドレス・ラミレス


TIFFにて鑑賞。
タンゴ・シンガーとしてまさに成功しようとするその時に、彼女に訪れた突然の恋人との破局。
諦めきれない彼女の行動が、痛ましく、胸をえぐるように思えると同時に、スペイン生まれのタンゴの情熱、激情をより感じる。
胸の焼けるような痛みと、タンゴの旋律が絡み合って、とても雰囲気のある独特な作品になっていた。

物語は中盤以降、あるシーンを拠点として、二つの違った彼女の人生を映し出す。
彼女の眼前に現れた二つの選択。一つは、その街に残って歌手として成功し、だがどうしても恋人を忘れることが出来ず、バンドのメンバーと体の関係になるが、心の寂しさは決して埋められない。そしてその後、悲劇が訪れる。
もう一つは、別の街に移って、決して有名ではないにしろ、歌手として別のバンドを組み、食ってはいけないので他の仕事をしながら、生きていく。その街でまた別の出会いがある。彼女はもう、男にすがってやっていく気には決してなれないものの、一人でやっていく決心がある自立した女性になるのだった。

二つのそれぞれ別のシーンは、時々交差するかのように現れる。さらに彼女にとっての思い出のシーンも混じっている上に、説明的な場面転換や台詞が全くないため、少し分かりずらく感じるかもしれない。
いずれにせよ、彼女には苦しみがつきまとう。忘れられない思い出は、目覚めることのない悪夢のよう。傷ついた彼女の姿が痛くて、見ていてとても苦しくなる。

全体的に雰囲気がとても良かったと思う。この二つの選択肢、おそらくどちらを選んでも、彼女にとって苦しみが終わらないのだ。
もし「自分が生きていく」ための選択をするなら・・・。
私が最近思うのは、「選択をする」という行為そのものに、常に後悔する可能性を含んでいる、ということ。
大人になるに従って、その後悔は大きく結果を違えるものであるかもしれない。
そして、時に取り返しがつかないこともありえる。
私は、こうした「選択」というものを描くなら、この作品のように、二つの別の人生をアナザー・ワールド的に描くのが面白いと思っている。『スライディング・ドア』のような作品が本当に好きだったから。


今回のTIFFでは、ディエゴ・マルティネス・ビニャッティ監督と、主演女優の、エウヘニア・ラミレス・ミオリさんが、Q&Aにて来場。
なんと、彼女は、元々タンゴ・シンガーであったわけではないらしい。何ヶ月も歌のレッスンを受けて、この役に臨んだらしい。私はまたてっきり、本物のシンガーを起用したのだと思っていたので驚いた。

ストーリー・・・
エレナは売り出し中のタンゴ歌手。ブエノスアイレスの権威ある劇場で開かれたオーディションに、バンドを率いて参加する。見事合格したことを機に、彼女のキャリアは軌道に乗り始めるはずだった。しかしある日彼女に悲劇が訪れる、彼女が愛した人はもう彼女を愛することは無くなった。愛のために生き、歌うエレナにとって、これはすべての終わりを意味した。喪失感に打ちひしがれた彼女の傷心は癒えることなく、暗い面 持ちになっていく。しかし、もしもう一度歩き出すことができるとしたら? もし悲しみを捨てて新たな国で新しい人生を始めることができるとしたら?・・・

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ラスト、コーション ▲135


ラスト、コーション’07年、アメリカ、台湾、中国、香港
原題:色,戒
監督:アン・リー
脚本:ジェームズ・シェイマス、ワン・フィリン
製作:ビル・コン、ジェームズ・シェイマス、アン・リー
原作:アイリーン・チャン
撮影:ロドリゴ・プリエト
音楽:アレクサンドル・デスプラ


トニー・レオン  イー
タン・ウェイ  ワン(マイ夫人)
ワン・リーホイ  クァン
ジョアン・チェン  イー夫人


台湾映画、勝手にマイブーム!ってことで、未見だった去年公開のこの映画を、今更ながらピックアップ。
ドロドロしてそうなラブシーンなんかが、いかにも売りなこの映画は、あんまり自分の好みそうではないかな、と当時スルーしてしまっていたのです。
でも、本当はちょっと覗いてみたいような気もしていた。いわば、自分の中の、劣情を掻き立てられる感じ。
イヤダ、イヤダと言いつつ本当は好き・・・みたいな?

観てみたら、やっぱり思ったとおりの映画だったかな。

暗殺のターゲットに近づくには、魅力的な女性を近づける・・・というアイディアそのものは、面白いんですよ。だけど、反日運動家として、本気でイーを殺すために活動しているのであれば、丸裸になる機会があったら、そこにはこれ以上のチャンスはないわけで。何度も殺すチャンスはあるのに、いかにもムザムザと愛人になり下がっただけじゃないか、と言えなくもないので・・・
「なーにやってんだ、おめ〜」
と、言いたくなる気持ちが多々あって、それをもっと上手いこと納得させてくれないと、このストーリーの基本の部分に、全く説得力が無くなってしまうんですよね。

でも、そういうところが肝心な部分ではないのかな、と思ったりする。
むしろ、激しい交尾なシーンが描きたかった全てであって、それ以外の設定は、ここを盛り上げるための大前提なだけ、というのが感じられてしまう。なので、そこの齟齬なんです。
上顎と下顎が噛みあわない感じ。例えて言えば、そんな感じでしょうか・・・この映画の咀嚼できない部分は。

それに、“マイ夫人”として名を変えたワンが、普段住んでいる家に、仲間が大勢タムロしすぎでしょう〜(爆)
イー(トニー・レオン)が政府高官であるなら、とっくにバレてもおかしくないじゃないか、と思える箇所が随所随所にありすぎて、頭が痛くなってくる・・・。
キミたち、本当にやる気あるの?って。

でも、きっと本当はトニー・レオンは、気づいてたってことなんですよね?
だからこそ、罰するかのように犯すシーンが、最初の性交なわけで・・・。

でも!でもですよ。トニー・レオンが、いかにもそういう性癖があるようなタイプに、思えないんですよ〜。
そして、体を張って演技してくれた、女優のタン・ウェイも、冷酷で感情を殺し、任務をまっとうするようなタイプの女性に見えない。いかにも、情にモロい女に見えてしまう。
なので、意外性があまりないんですよね。

トニー・レオンも、恐い顔してても、本当優しそう。目が好き・・・いや違う!(笑)
そのくせ、ラブシーンの激しさは観てみたいような感じではなくて、ああ、トニーのラブシーンなんて別に見たくないぜ、みたいな。。。いや、個人的な感情ではありますが。
全体的に、いまいち盛り上がりに欠けるというか、意外性に欠けるというか、ハラハラドキドキもなくって、ただただ激しいセックスシーンしか覚えていないよ〜っていう。

あと、ネタバレですが














大きな宝石の指輪を買ってくれたから、それに感激して、ついつい命を助けてしまった、ってのはどうなの?


いや、結構面白く見れた割に、文句ばっかり言ってしまいました。
愛ではなく、体の結びつきが・・・、というテーマは、私は結構好きではあるんですが。

おそらく、ですよ。
トニー・レオンではなくて、いかにも真性ドSな感じの俳優が男役を演じていて、
タン・ウェイではなく、いかにも真性ツンデレ、冷酷そうな感じの女優が演じていたら、もっと感想は違っていたかもしれない。
そんな風に思いました。

ストーリー・・・
日本軍占領下の1942年の上海。傀儡政府のスパイのトップであるイーは、かつて香港で出会った女性ワンと再会する。数年前、香港大学の学生だったワン は、抗日に燃える演劇仲間たちとイーの暗殺計画に加わっていた。その時、イーが突然上海に帰ったことで計画は流れたが、レジスタンス活動を行う組織は、上 海に戻っていたワンに再びイーの暗殺計画への協力を求める。ワンはイーに近づき、彼の愛人になることに成功。やがて二人は・・・

ラスト、コーション@映画生活

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愛のコリーダ ▲115

愛のコリーダ’76年、フランス、日本
原題:L’empire Des Sens
監督:大島渚
製作:若松孝二、アナトール・ドーマン
撮影:伊東英男
音楽:三木稔
美術:戸田重昌


藤竜也  吉蔵
松田英子  安部定
中島葵  トク
殿山泰司  乞食


とうとう見ました、愛のコリーダ完全版。
とにかくこの映画は名前だけはずっと有名で、「芸術か猥褻か」という議論になって裁判になった、という噂は昔に聞いたことがあった。
何より大島渚は、昔からTVに出すぎていたし、「変なことばっかり言うオジサンだなあ、こんな人が映画監督なのかぁ」というボンヤリした認識しかなかった。いつか機会があれば見ようかな、ぐらいに思っていたのだけれど、2chで「SEXシーンで本当にしている映画」の筆頭に挙げられていたので、「それは是非自分の目で確かめなくっちゃ」とは思っていた。

しかし、いやー、これは見て良かった!
コダワリ抜いて作られた映画だ、というのはとても感じられる。
素晴らしく良く出来た映画だった。日本の映画史上に残るだろう。
ここまでスキャンダラスに描いたら、それは確かに問題になるだろうことも承知の上で、あえて挑戦するかの如く描かれた、数々のSEXシーン。
なんたって、全編そればっかり!なんですよ。正直言うと「きっとこのまま最後まで、そのシーンばっかりなのだろうなあ。」と考え、半ばウンザリしてきた中盤辺り。だが途中から、夢中になって画面に食い入るように見入ってしまった。
定は欲望の留まるところを知らず、嫉妬も束縛もあまりに激しいので、途中少々嫌になったところがある。それは、むしろ自分の中にあって、見たくないものを見せられているような感覚だった。

全体的な映画の色使いや、雰囲気も本当に好みで、「グッとくるテイスト」。一本調子に思えそうなほどのその描写の連続は、実は、次第に増してゆく狂気に拍車をかける。映画のテンポとして維持するために、計算の上であるのがよく分かる。このテンションで最後までイクのだから本当に天晴れとしか言いようがない。

しかし、中でも数々の性描写、これが実は一番計算されている、とつくづく思う。体位やカメラの角度に工夫が凝らされているばかりではない。何が今、画として映っているか。女の露出度は今どの位か。狂気の度合いはどうか。
執拗に描き、一つ一つが画になるものばかり。こうしてたくさん描きながらも、退屈せず、思ったより飽きも来なかった。それどころか、途中からいよいよ夢中になって目が離せなくなってしまったのは、性描写が非常に画として優れていたからだ。

卵のシーン、これは、見た時に「これこそ、この映画をして、誰もが忘れられなくなった瞬間だ」と思った。もちろん、それだけでなく、忘れがたいシーンは数々にある。

そして、男性器の描き方。実はこれが一番、最初から最後まで、女の裸以上に強調されて描かれていた。何故ここまで“男根”が強調されているか、それは最後になって分かる。定が切断してまで、掴んで離さなかったもの・・・。
ここに絶対的な理由があったために、男性器を隠すことは不本意に思えたのだろう。

藤竜也が、こんなにいい役者だったんだ、とは最初の登場の時に初めて気づいた。滑舌はそれほど良くないように思えてしまったけれど、ぶっきらぼうで粗忽で、そして絶倫な(笑)、だが途方も無く包容力のある男。初めはただの色情狂かと思ったけど(笑)
定がこれほどまでに惚れ込んでしまった理由が、ラスト近くになってよく分かり、私たちに訴えかけてくる。定の無理難題を、何も拒否しようとしない。どうしてここまでするのだろう・・・。その時は不思議だったけれど、私は一日以上経って、後から思い出して泣いた。とても激しく。それは愛だった。

ただ、ほとんど自殺的とも言えるその最後には、他に理由が付与されている。この映画でそれまで吉が見せなかった、怪訝な目のUPから始まる、軍隊とスレ違うシーン。軍国主義一徹な日本の歩調から外れてしまった男の、居心地の無さを示すシーンだ。
ここだけは、少し文句が出てしまう。カット割も多いし、長すぎると思う。1シーン1カットに抑えて欲しかった。それで十分言いたいことは伝わるのに。完全版だったからかもしれないけれど。


ストーリー・・・
昭和11年、軍国主義の黒い影が漂い始めた東京・中野。料亭吉田屋に住み込み女中として安部定という女がやってくる。定は吉田屋の主人・吉蔵に一目惚れ、吉蔵もしだいに定の色香に惹かれて愛し合うようになり、夜更けの応接間で離れの座敷で、激しい情事を重ねる。その仲が吉蔵の妻トクに知られるにいたって駆け落ちした2人は待合宿に身を置き、深く濃い愛欲の世界へと落ちていく・・・

愛のコリーダ@映画生活

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それでも恋するバルセロナ ▲96


それでも恋するバルセロナ’08年、アメリカ・スペイン
原題:Vicky Cristina Barcelona
監督・脚本:ウッディ・アレン
製作:レッティ・アロンソン、ギャレス・ワイリー、スティーブン・テネンバウム
製作総指揮:ハウメ・ロウレス
撮影:ハビエル・アギーレサロベ
美術:アラン・バネ
編集:アリサ・レプセルター

スカーレット・ヨハンソン  クリスティーナ
ハビエル・バルデム  ファン・アントニオ
レベッカ・ホール  ヴィッキー
ペネロペ・クルス  マリア・エレーナ
パトリシア・クラークソン  ジュディ・ナッシュ
ケビン・ダン  マーク・ナッシュ
クリス・メッシーナ  ダグ


軽妙洒脱な、だけど深みを感じるところがすごく好き。何よりスペインが舞台、ってだけで、心が躍ってしまった。それに音楽も素敵だし!
この作品、「いかにもウッディ・アレン的なんでしょ?」という予想を裏切る、楽しさがイッパイ詰まった作品でした。気が利いた台詞も、皮肉っぽくなく、どこか明るくて、コメディタッチ、夢見がちで。全体的に緩い甘さに包まれていて、見ているコッチはなんだかウキウキしてしまう。

それぞれの女性キャラクターたちが、みんな魅力的なのも嬉しくて。タイプの全く違う彼女らを見ながら、「自分だったらこのキャラクターに一番近いかな」、「このキャラは自分と違うけど、この気持ちは分かる」とか、いろいろ考えながら見てしまう。何よりキャスティングが素晴らしいし、好きな人たちばっかりで。ああー、幸せー
ひと夏のバカンス、アバンチュールというと軽いけど、これが単なる一つの夏だなんて、なんて濃い夏なんだろ〜。ま、ラストはちょっと唐突感はあったけれど、終わるからこそ楽しい、それがバカンス。その夏の間に、決定的に違う道を行く、ヴィッキーとクリスティーナ、二人の親友同士。
各が自分に見合った、芸術的な手腕を磨いてゆく。出会うことで影響し合い、その経験を通して、人生に彩りを添える物語。でも一番重要なのは、人生そのものがそれぞれの人の芸術作品だってこと!


ちなみに、私はこの作品、友達と見ようと約束してたの。いつも映画のチョイスは私に任せっきりな友人なもので、ヒドイ話、当日になるまで何の映画を見るか、大概私、言わなかったりするんだけど(ひどい話ね。でも、この友人は自主的に映画を見たり普段全然しないし、本当に私に任せっきりなの)。
ところが今回は、前もって彼女の方から「この映画(それでも恋するバルセロナ)を見るの」とメールをくれたことで、「あ、それ私一緒に日曜に見ようと思ってたァ。」と言ったら、「私、二度見てもいいよ」なんて言うの(有り得ない!)。だから私が、「イヤイヤ、ウッディ・アレン作品は、二度も映画館に足を運ぶ必要はナシ。じゃ、違う映画を選ぶことにするね、『○○○○』を見よう。」と、いったんは別の映画を選んだ。
ところが、彼女が一緒に見に行くはずだった友人が、同棲中の彼氏と別れる、という大事件が持ち上がり。失恋した友人の友人は、「自殺する!」などと、まさしくこの映画のマリア・エレーナのような状態になってしまった。

おかげで友人の映画を見る計画はお流れになり、急遽当日になって、当初の予定通りこの映画を、私が友人と行くことになったの!(本当に前日の出来事だった!)おかげで、彼女と見終わって、いろんな話をしたよ。お互いの恋愛観から、これまでの経験、さらに友人の友人の話など・・・。
普段から彼女とは、いつ会っても話が尽きないのだけれど、今回はもう、それこそいろんなことを喋くり倒したわ!

やっぱり、誰かと一緒に見て、いろんなことを語るのっていいな。今回はまさに、気の置けない親友と女同士で、一緒に見るのがピッタリな作品だった。

ストーリー・・・
バカンスでバルセロナを訪れたヴィッキーとクリスティーナは、親友同士だが恋愛観は正反対。二人はヴィッキーの親戚夫婦の家に滞在して、バルセロナの街を観光する。ガウディの建築物や、ミロの芸術に酔いしれていた。ある晩、訪れた画廊のパーティーで出会ったのは、画家のフアン・アントニオ。彼は元妻と離婚したばかりだった。そんな彼に、クリスティーナは興味を持つ・・・


それでも恋するバルセロナ@映画生活

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