’11年、アメリカ
原題:J.Edgar
監督: クリント・イーストウッド
脚本: ダスティン・ランス・ブラック
製作: クリント・イーストウッド、ブライアン・グレイザー、ロバート・ローレンツ
製作総指揮: ティム・ムーア、エリカ・ハギンズ
撮影: トム・スターン
キャスト: レオナルド・ディカプリオ、ナオミ・ワッツ、アーミー・ハマー、ジョシュ・ルーカス、ジュディ・デンチ、ジェフリー・ピアソン、ジェフリー・ドノバン
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’11年、ベルギー
原題:the Devil’s Double
監督: リー・タマホリ
原作: ラティフ・ヤヒア
脚本: マイケル・トーマス
撮影: サム・マッカーディ
キャスト: ドミニク・クーパー、リュディビーヌ・サニエ
「これ面白そうだよね?」とRoseさんに言われ、「でも、リー・タマホリですよ」と答えた約2週間後に、ノラネコさんに「これ面白そうですよね!」と言ってみたら「でも、リー・タマホリですよ」と返答されてしまった。
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’08年、イタリア
原題:Si Puo Fare
監督・脚本:ジュリオ・マンフレドニア
製作:アンジェロ・リッツォーリ
原案・脚本:ファビオ・ボニファッチ
撮影:ロベルト・フォルツァ
音楽:ビビオ・デ・スカルツィ、アルド・デ・スカルツィ
キャスト:クラウディオ・ビジオ、アニータ・カプリオーリ、アンドレア・ボスカ、ジョバンニ・カルカーニョ、ミケーレ・デ・ビルジリオ、カルロ・ジュセッペ・ガバルディーニ
はみ出し材木たちの底力。
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’11年、アメリカ
原題:Moneyball
監督:ベネット・ミラー
脚本:スティーブン・ザイリアン、アーロン・ソーキン
製作:マイケル・デ・ルカ、レイチェル・ホロビッツ、ブラッド・ピット
製作総指揮:スコット・ルーディン、アンドリュー・カーシュ、シドニー・キンメル、マーク・バクシ
原作:マイケル・ルイス 同名小説
原案:スタン・シャービン
撮影:ウォーリー・フィスター
音楽:マイケル・ダナ
キャスト:ブラッド・ピット、フィリップ・シーモア・ホフマン、ロビン・ライト、ジョナ・ヒル、ディミトリ・マーティン、クリス・ブラッドリー、スティーブン・ビショップ、ケリス・ドーシー
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’10年、ドイツ
原題: Goethe!
監督:フィリップ・シュテルツェル
製作:クリストフ・ムーラー、ヘルゲ・ザッセ
脚本:フィリップ・シュテルツェル、クリストフ・ムーラー、アレクサンダー・ディディナ
撮影:コーリャ・ブラント
美術:ウド・クラマー
音楽:インゴ・L・フレンツェル
キャスト:アレクサンダー・フェーリング、ミリアム・シュタイン、モーリッツ・ブライブトロイ、フォルカー・ブルフ、ブルクハルト・クラウスナー、ヘンリー・ヒュプヒェン
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’99年、ロシア、ドイツ
原題:moloch
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
脚本:ユーリー・アラボフ
撮影:アレクセイ・フョードロフ、アナトリー・ローディオフ
美術:セルゲイ・ココーフキン
出演:レオニード・マズガヴォイ、エレーナ・ルファーノヴァ、レオニード・ソーコル、エレーナ・スピリドーノヴァ、ウラジミール・バグダーノフ
ソクーロフ、歴史4部作のうちの第一弾、モレク神。ヒトラーを描いたこの作品と、レーニンを描いた『牡牛座 レーニンの肖像』 、昭和天皇を描いた『太陽』と、ゲーテを描いた『ファウスト(原題)』。最終章となる『ファウスト』は今年のヴェネツィア映画祭に参加するらしい(ソースはこちら)。日本には来年辺りには公開になるかな?(待ってますよ〜、ユーロさん!)
このシリーズは権力者の晩年の姿を、「人間」としての視点から描いたもののようだ。この作品はさすが、ソクーロフっぽさに満ちていて、面白い。ヒトラーを描いたこの作品は、死の直前のある一日、という不気味な醜さ静けさ、迫力に満ちた力作。愚かで、凡庸な人間ヒトラー。馬鹿馬鹿しさがいっぱいで、ウンザリするほど凡庸そのもの。ヒトラーを「こういう人はいかにも居そうだ」、と誰もが思うような、ただの困ったちゃんに描いて、リアリティを感じさせるところが凄い。つまらない生活習慣と、くだらないピクニック。それを真面目に守るナチス親衛隊。起立したままそのピクニックを見守っている。
「女は愚かだ」と言いながら、その愚かなエヴァの前でのみ本音を言い、自分をさらけ出す。誰もあなたには恐れて本音を言えない、医者すらあなたの望むカルテを書くのだ、と言い放つエヴァ。エヴァが夜現れると、子孫を持つことや凡庸な生活を否定する。凡庸を否定することがまるで独裁者であることのエヴァそのものに対しても否定して見せる。いかにも「淫売」ぽく(ヒトラーがそう言う)、浮気を堂々と告げてみたり、子供を求めてレーニンを描いた『牡牛座』も、生涯の「最後の一日」と言えるかもしれない。『太陽』も決定的な一日とは呼べるかもしれない。どうかな?
※ストーリー・・・
腹心のゲッペルスらとともに山荘を訪れたヒトラー。ここで愛人のエバと休日を過ごす彼は、時に残虐性を垣間見せる。だがエバとふたりきりになったヒトラーは、子供のように駄々をこねたり、奇妙なことを言い出したり・・・
・モレク神@ぴあ映画生活
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’86年、ソヴィエト
原題:MOSCOW ELEGY
監督・脚本・撮影:アレクサンドル・ソクーロフ
音楽:ロストロポーヴィチ
この人物は・・!そう、これってタルコフスキーのドキュメンタリーなのです。ソクーロフによる、タルコのドキュメンタリー。これを見逃す手はなーい。『ノスタルジア』 と『サクリファイス』の時のメイキング映像が含まれているのでした。なんか胸がアツくなるな。おおっ、この部屋は!この鏡は!この壁は!つって、のけぞります。オレグ・ヤンコフスキーがカッコ良くて、もうもう。ジュード・ロウをもう少し美形にして、ロシアの苦悩をトッピングすれば、こんな容貌になるのかしらん。
ソクーロフが差し挟んだナレーションもちょっと面白い。「タルコフスキー。アンドレイ・タルコフスキー。話し方やしぐさが、人を惹きつける。容貌も魅力的だ。」とか言ってて、完全に愛なんですけど!などと心の中でツッコミを入れたくなる。『ノスタルジア』の撮影時から始まる。
イタリアの脚本家がタルコフスキーに向かって詩を書いた。イタリア語だけれど、君だったらきっと何かを感じてくれるんじゃないか?と言いながら語りかける。 「家」についての詩だ。「家は素晴らしい場所だ。家に居るのはとても楽で、そこから一歩も外へ出ていきたくなくなる。家は鳥かごである。」とかいう詩。タルコは「いいね!」みたいな感じだった。
『サクリファイス』の頃のタルコフスキー。この時、本当は病を患っていたという。ソクーロフ曰く、「皆(撮影クルー、俳優など)に尊敬され、彼のする一挙一動に、そこにいた全員が気を配っているのが分かる。彼の言うことを聞き、一分一秒を無駄にしないようにしようとしている。」とても理想的な撮影環境のようだ。
そのタルコフスキーは、映像の中でこう語る。「見た後や読んだ後の自分に、変化が訪れる、それを見る前と見た後ではもう変わっている。真の芸術とはそういった類のもの」、という。「映画は真剣に取り組むべきもの。おそろしく真剣なものだ」。
『イリイッチの逍遙』という、この時より 20年前にタルコフスキーが出演している映画のシーンが挟まれる。タルコは、「真面目な議論」の合間に「カブについて議論してみろ」と言って女の子にバシーンと叩かれてしまう役だった。タルコフスキーは、喉頭ガンで亡くなる。タルコ夫人、二人の息子が葬式に参列する。パリ8区のロシア正教会で行われた。 最後に林の此方側から、草原を行く人影を後ろから映す。カメラは林の中へと後退ってゆく。文句なしのラスト。こういう一瞬がさすがだな、と思う。タルコフスキー『ノスタルジア』の1シーンを思い出す。心惹かれるラスト。
・モスクワ・エレジー@ぴあ映画生活
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’79-’89年、ソヴィエト
原題:Sonata for Hitler
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
構成:アレクサンドル・ソクーロフ
音楽:J・S・バッハ<無伴奏フルートソナタBMV1013>
ヒトラーとスターリンという同時代を生きた二人の独裁者の人生を、スティル構成で対比させた。セリフがまったくなく、群集の喚声や不気味な不協和音が画面を覆うが、不思議な静けさと緊張感に満ちている。・・・上映作品解説より
たった10分という作品だけれど、見入ってアッという間に過ぎてしまう。ヒトラーとスターリンを交互に映しだし、それぞれの論説する姿、怒号する姿、立ち姿などを対比させている。怒号などはまるで聞こえてくるかのよう。静かながら異様な迫力があって、私は、モノクロの配置を見ているだけでも面白かった。
こうやってヒトラーとスターリンを対比させた映像というのは面白いなと思う。そう言えば、ニュージーランドのオークランド博物館に「ウォー・メモリアル」の展示品があった。入るとすぐ、真ん中から右にヒトラー、ムッソリーニ、スターリン。真ん中から左には、チャーチル、ルーズベルト、東条英機のポートレイトが大きくバーンと飾ってあって、とても驚いてしまったが、それを思い出した。
・ヒトラーのためのソナタ@ぴあ映画生活
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『ソヴィエト・エレジー』
’89年、ソビエト
脚本・監督:アレクサンドル・ソクーロフ
撮影:アレクサンドル・ブーロフ
録音:ウラジーミル・ペルソフ
編集:レーダ・セミョーノワ
ユーロスペースでのソクーロフの特集、まだ見てないものや、前回寝てしまったものなど、片っ端から通うぞ!と思っていたのに、いつの間にか始まっていて、やる気失速中・・・。ユーロは好きな映画館なので、出来ればここで見たいのに、うう。
ソクーロフのレンフィルム時代での、ドキュメンタリー。実在の人物を追った“エレジー”シリーズ。この作品では、エリツィンを追ったドキュメンタリー。子供の頃の写真から、当時のエリツィンが沈思する姿など、静かにカメラは追い続ける。
中盤からラストにかけて、様々な政治家のポートレイトがズラーっと続くのに驚く。全部で何人居たのだろう?エリツィン、トロツキー、レーニン、ゴルバチョフ・・・。とにかく終わらないかと思うぐらい長く。ナレーションはソクーロフ自身によるもの。冒頭ではポートレイトだったものが、途中から写真に変わっていたようだった。ロシア名を聴いていると、胸アツになっちゃうのは私だけでしょうか?何かこう、パッションがこみ上げて来る。なんとかスキーとかなんとかロフとか、とにかくキュンとしてしまうのです。ソクーロフが挙げた政治家のポートレイトも、上手く描けているのか、顔もすごくかっこ良く見える。
・ソヴィエト・エレジー@ぴあ映画生活
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’10年、アメリカ、イギリス
原題:Exit Through the Giftshop
監督:バンクシー
ナレーション:リス・エヴァンス
音楽:ジェフ・バーロウ、ロニ・サイズ
キャスト:ティエリー・グエッタ aka Mister Brainwash、スペース・インベーダー、シェパード・フェアリー、バンクシー
「死後ようやくその価値が認められた、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。この教訓を二度と忘れないようにしようとした美術界は、バスキアを電光石火の速さで発見した。」という台詞から始まるのは、ジュリアン・シュナーベルの『バスキア』だった。(正確な引用ではありません。一度見ただけのうろ覚え)ジャン=ミシェル・バスキアはそんな風にしてグラフィティ・アート(ストリートの壁に描く落書き)からそのキャリアが始まっていた。だが実はグラフィティの作品はそれほど多くはなく、すぐにポップ・アート界の星に成り上がった。
このドキュメンタリーを監督したバンクシーは、バスキアと同様にグラフィティでその名を成していながら、この人と比べるともっと筋金入りのグラフィティ・アーティストと言える。「街中のイケてると思う壁に描けば、馬鹿馬鹿しいほど高い入場料に金を払うやつは居なくなる」と言うバンクシーは、彼の表現の手段としてわざわざグラフィティを選んでいる。グラフィティを選ぶことでむしろ、「アートの価値」という本質について投げかけてくる。誰もが見えるところで、否応なく。
これは人を喰ったような作品だった。グラフィティに関するドキュメンタリーで、かつ有名なバンクシーその人が監督していながら、むしろ主人公としてクローズ・アップするのは「自分よりもっと面白い人物である」と、冒頭いきなり豪語する。それはどういうことなのか?フードを深くかぶり、完全に顔が見えなくなった状態で声色も変えたまま。覆面の姿をそうやって曝け出すことが、矛盾なのかそうでないのか。とにかくいきなり心掴まれる始まりだ。
本気でグラフィティ・アーティストに関するドキュメンタリーを作ろうと思っているのか、ただのカメラオタなのかよく分からないティエリー・グエッタが、物語の後半ではいきなり変身する。長年グラフィティを追いかけ、LAの壁を熟知していたその人が、自分もいっぱしのアーティストの真似ごとをし、大成功を収めてしまうという、トンでもない展開になる。
誰か別のグラフィティ・アーティストが描いてくれた自分の似顔絵を、キンコースで拡大コピーし、それを貼っていただけの時は微笑ましく思っていた観客も、才能の片鱗も感じられない切り貼りアート(金に任せて人を大量に雇う)を並べた作品展の模様を見るうちに、さすがにウンザリしてくる。
バンクシーはそれを見て、「MBW(ミスター・ブレインウォッシュ、ティエリーのアート界での名前)はアンディ・ウォーホルの継承者だ」と言う。私はその言葉が、ただの皮肉めいたジョークとも思えないのだ。そもそもアンディ・ウォーホルがポップ・アイコンとしてアート表現そのものを破壊してみせたように、ただそれをなぞっただけのMBWは、まるで誇張表現のようにその馬鹿馬鹿しい色合いを添えてもいる。つまり事実上、MBWこそがある種バンクシーの「作品」のよう。
じゃあそうやって騙されやすい大衆と、作られたポップ・アイコンを愚弄するからといって、バンクシーがアートそのものを愚弄しているか?疑問を持つ人も居るだろう。私は違うと思う。この映画で見せたMBWという「作品」でもって、アートの本質をむしろ問いかけている。それこそがこの映画の表現になり得ている。
柳下毅一郎は、『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』というタイトルの意味を、「お代は見てのお帰り」という意味だと言っていた。(さすがはガース!)そもそも、金を払う行為とアートを楽しむという行為はイコールで結ばれるのか。「アートの価値」という曖昧この上ないものを探り続けるからこそ、こうした破壊表現で世間を楽しませ、見せる。バンクシーは本物だ。
・イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ@ぴあ映画生活
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