3★ブリューゲルの動く絵

’11年、ポーランド、スウェーデン
原題:the Mill and the Cross
監督・脚本: レフ・マイェフスキ
撮影: レフ・マイェフスキ、アダム・シコラ
音楽: ヨゼフ・スカルツェク
キャスト: ルトガー・ハウアー、シャーロット・ランプリング、マイケル・ヨーク

 

これが今年一発目の映画だったけれど、残念ながら撃沈。

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■39. 何も変えてはならない

何も’09年、ポルトガル・フランス

原題:Ne change rien
監督・脚本・撮影:ペドロ・コスタ
音楽:ピエール・アルフェリ、ロドルフ・ビュルジェ、ジャック・オッフェンバック
出演:ジャンヌ・バリバール、ロドルフ・ビュルジェ、エルベ・ローズ、アルノー・ディテルラン、ジョエル・トゥー、フレッド・カッシュ


フランスの女優であり、歌手活動もしている、ジャンヌ・バリバール。彼女のライブ・リハーサル風景や、レコーディング作業などを、黙々と映し出した作品がこちら。
シンプルなこの映像が、何故これ程までにあれこれ論議され、話題になるのか。とにかく必見の作品だ。

見る前には、私は正直ペドロ・コスタの新作を見るのが怖かった。苦手意識を抱いていたから。『コロッサル・ユース』を見た時は、睡眠不足だったこともあって、その難解さに理解が及ばず、冒頭から最後まで眠りこけてしまった。
おかげで、この作品が公開されると知っても、あまり心が踊らなかった。しかし何となく気が向いて、いざ見てみれば、至福の体験。こんなに素敵な作品だったなんて!ウットリと心地の良い時間が過ぎていった。

映画館のフィルムに自分が向きあう、大好きな静寂の時間。
気難しい映画だろうか、と、緊張し肩肘張るようなことは全く無かった。むしろ自由な表現にすっかり魂が解放されたかのような思い。

ジャンヌ・バリバールの歌に集中し、その世界と一体化、のような状態になってくる。しばらく変わらないその同じフレームをじっと眺める。「歌」になる前のつぶやきのような、フランス語の魔術的な響きがまた魅惑的。

目の前の画面を見つめ、ただ聞き惚れる。なんだか宇宙が回り始めるような気にすらなってくる。
何より、ただその切り取られたフレームをぼうっと見ているのが、なんとも心地が良くて。
フレームの中の白と黒を見つめているだけで、恍惚感を味わったのは、私はこれまでにもクエイ兄弟の『ベンヤメンタ学院』や、タルコフスキーの諸作品などを見た時など。あの感じを何と表現すべきか分からないけれど、あの瞬間こそ、ゾクっとするほど、映画の画面が生きているように思えてくる。あの感じ!

まるで、すぐそこにペドロ・コスタ監督が居て、その同じ気持ちの良いトリップ感を一緒に味わっているかのような気がしてくる。
その錯覚は、途中から芽生えてきて、だんだんそこに魅入られてしまった。
もはや、精神だけの存在になって、浮遊するかのように気持ちが良い。
物語を追いかけることからも自由になって、目の前の画面と一体化するかのような感じがする。

こうすることで余計、「歌って何てすごいものなのだろう」、とその無限さを感じるような気がした。
ジャンヌ・バリバールの負けない精神や、その魂の形を美しく感じた。

音楽の生(ライブ)の凄さと、その生成過程の蠱惑性。それに、人を耽溺させる力を持つ映像。
つまり、音楽の素晴らしさの恩恵と、映像の凄さの恩恵との、それぞれが掛け合って、何倍もに膨れ上がっているのだ。ここでは。
私は思わず、ズルイ!と思った。

映画って、音楽って、こんなに素敵なものだったっけ。
まるで、憑き物が落ちたみたいに、自由で解放的な気分を味わった。

素敵だった。
ここには、魔法がある。


ストーリー・・・
歌手としても活動するフランス人の人気女優、ジャンヌ・バリバール。ライブリハーサルやアルバムのレコーディング作業を行う彼女の姿をペドロ・コスタ監督が捉えていく。ジャンヌは「映画の中には私ひとりのものよりずっと多くのものが詰まっている」と話す・・・

何も変えてはならない@ぴあ映画生活

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■14. 獅子座


獅子座’59年、フランス
原題:Le Sugne du Lion
監督:エリック・ロメール
脚本:エリック・ロメール
製作:クロード・シャブロル
撮影:ニコラ・エイエ
音楽:ルイ・サゲール


ジェス・アーン ピエール
ファン・ダウデ  ジャン・フランソワ 
ミシェル・ジラルドン  ドミニク


エリック・ロメールの追悼特集を、遅らばせながら初鑑賞。R.I.P。。。
おくりびと・・・ならぬ、おくれびと。相変わらず。

エリック・ロメールの初長編作品となるこの『獅子座』、ヌーヴェル・ヴァーグの記念碑的作品と言われているという。同じ年にフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』、ゴダールの『勝手にしやがれ』が作られた、とのこと。

伯母の遺産が転がり込むことになった、売れない作曲家のピエール。一夜にして大金持ちになった、と友人を招いて散々吹く。そりゃもう、飲めや歌えのドンチャン騒ぎ。
ところがこの後に、遺産が手に入らないことが判明する。なんともう一人居る従弟が全てを相続することになり、今度は一文無しに・・・と、こういった話。

なんでも、この作品でプロデューサーを務めているクロード・シャブロルは、伯母の遺産でプロダクションを興したのだとかで、この話からヒントを得たのだそうな。
しかも、ゴダールが出演しているというのにも注目の今作(同じレコードを何度もかける役)。

物語設定が面白そう、と思うでしょ?!
・・・いや、これが本当に面白かった。

こんなシンプルかつ昔話のような設定から、こうしたテイストの映画が生まれるなんて。
シンプルな設定であるからこそ、余計に大胆さやドラマチックさ、そしてカメラの繊細さは却って際立って感じられる、という・・・なんとも見事な作品なのだ。

冒頭近くで「自分は大金持ちになった」と友人に吹聴し、連日連夜のパーティをして騒ぐ。だが、招かれた友人の中に、こう言う人が居る。
「もっと若ければ、彼も才能を生かせたかもしれない。だが、40歳近くという年齢の今頃になって金を得ても、彼は遊んで過ごすだけになってしまうだろう。金は、彼を駄目にするだけだろう」と暗い顔だ。

一方、当の主人公ピエールの方は、
「俺の40歳の誕生日のその日に、自分の運が良いか悪いかが分かることになるだろう、そう占い師に言われたことがある。40歳の誕生日まではあと1ヵ月半あるが、俺は強運の持ち主だ、と分かった。自分は獅子座の生まれだからだ。・・・」
などと言って酒を煽る。

私はここで俄然、とても楽しみになった。
この先の物語を、どういった目線で主人公の運命を見守るべきか、
改めて好奇心にスポットライトが当てられたかのように感じたから。

自分にそのように大金が舞い込んできたら、それは本当に強運の持ち主、と言えるのだろうか?
湯水のようにお金を使える権利を得、働かずして怠惰な毎日を過ごすことが、本当に幸せに結びつくんだろうか?などと思ったりしてね。

物語は急展開し、遺産が入ってこない、と分かる。そののち、ピエールは雲隠れしてしまう。アパートは追い出され、頼るべき友人は皆、バカンスで居ない、という悪い時期が重なる。
とうとう浮浪者になり、毎日毎日ただパリという街を、徘徊して過ごすピエール。まるで永遠とも思える長い時間、ぐるぐるぐるぐるただパリを歩く、長い長い徘徊のシーン。
言葉もなく主人公の姿を捉えた日々は、虚ろに過ぎ去り、ポン・ヌフやカフェ・ドゥ・マゴといった、眼に映る風景も、まるで違った風景、角度を見せだす。この瞬間は、本当に見事なものだった!

私は、この長い徘徊のシーンの途中から、途端に眼を輝かせて、ぐっと前のめりになって、ユーロスペースの椅子を座りなおした。
こいつはすげえ!!と拳をグっと握り締めて。


ラストまで言ってしまうネタバレはどうかと思うので、いつもは避けるのだけれど。

この先、ネタバレなので読みたくない人は飛ばしてね:::::












ピエールと行動を共にしていた浮浪者が、最後に、
「彼は必ず戻ってくると約束したんだ。明日来ると言ったんだ。彼はきっと来るよ!」
と言って終わる。
自分以外の何かをあてにする人がここにも一人・・・。

ところでピエールは占い師に「自分の運が、良いのか悪いのか、自分の40歳の誕生日に分かる」と言われていたが、彼は最高と最悪を経験した、ということになるわけだ。

彼は変わったのだろうか?
ラストに道端で、遺産が自分の手に下りたことを知らされ、その通りにいる人全てに
「みんな俺の家に来いよ!」などと声をかけるピエール。まるで変わっていないかのように思える。

だが今後の彼はどうだろう?彼が「最悪」の方を全く経験することなく過ごしていたら?
おそらく彼は以前とは違った彼であるに違いない。だがそこは描かれてはいない。そしてそれは、どのように変化したのだろう?

そのクエスチョンは、ラストで置いてけぼりにされた、もう一人の浮浪者の姿だ。
「彼は、明日きっと来るはずだ」。

ピエールは明日、ここに来るのだろうか?
観客それぞれの中にクエスチョンが投げかけられたまま終わるラスト。
こういうラストがたまらない。


ストーリー・・・
売れない作曲家・ピエールは、思い掛けず莫大な遺産を相続できると知り、友人を招いて祝杯を上げる。ところがその後相続話はおじゃんとなり、40歳の誕生日を目前に夜逃げしてしまう・・・

獅子座@ぴあ映画生活

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ボヴァリー夫人 ▲176


ボヴァリー夫人’89年、’09年
原題:Spasi I Sokhrani
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
原作:グスタフ・フローベール
脚本:ユーリィ・アラボフ
撮影:セルゲイ・ユリズジツキー
音楽:ユーリィ・ハーニン
美術:E・アムシンスカヤ
編集:レーダ・セミョーノワ


’89年に製作され、フローベールの没後130周年を記念して公開された作品。オリジナルからは40分カットしたらしい。

自分にはとても興味深く、そういう解釈なのね、と1シーン1シーンを堪能することが出来た。もう大満足。
これまでにもジャン・ルノワール、ヴィンセント・ミネリ、クロード・シャブロルによって映画化されたという、この作品。

ソクーロフの映画では、『静かなる一頁』にとても痺れた私。ドストエフスキーをこんな風にしちゃう手腕があるのだもの、この作品も、もっと期待して見ても大丈夫だったのに!w
いや〜私が不安だった理由に、原作が何しろ大っ嫌いだった、ということがあって。私が読んだのは19歳の頃だったのだけれど、読み終わった後、あんまり頭に来て、思わず日記を書いたほどだった。(ああ、ちなみに、同じようなことはココにも書いてます)
私が読んだのは、新潮の『世界文学全集』で、フローベールの『ボヴァリー夫人』とモーパッサンの『女の一生』が、セットになった巻だった。どちらも、女性の一生を、自然主義の描き方でその長い人生を描ききった2作。『ボヴァリー夫人』の方は、読んでいるうちにもうイヤでイヤで堪らなくなって、だけど怒りが収まらずについつい最後まで読んでしまったという代物だった。

まず、この作品では、原作の途中から描かれているのだけれど、にしても大胆な!まず、蝿の音がブンブン唸り続ける。映画全体を通して、不快な蝿の羽音が鳴っているのだけれど、この音は実は、ボヴァリー夫人が棺の中に入れられ、そこでようやく蝿の羽音が止むのだ。
正確に言うと、一つ目の棺に入れられて、蝿の羽音は少し遠くになる。二つ目の棺に入れられて、蝿の音はかなり遠くに、囁くほどになる。そして三つ目の大きすぎる棺に入れられて、完全に聞こえなくなる。とこんな風だった。

何度か映し出されるシーンの、鳥かごの中に鳥は居ない。彼女自身が人生という檻に閉じ込められた行き場のない鳥、だが翼を持たない生き物なのだ。
台詞に全く無くても、ボヴァリー夫人の精神が感じられるような映像だった。このボヴァリー夫人は、ロシア語と時々フランス語を話して、思わず「エッ」と不思議に思ってしまったぐらいだったけれど。鼻が異常に高かったり、痩せぎすだったりするエマ・ボヴァリー。いかにも人知れず田舎でその精神が死んでゆきそうに見えた。その鬱陶しさをその周りの空気に纏った彼女が、浮気相手との情事の後、その埋もれそうな思いから開放され、「私には恋人がいるのよ」と嬉しそうにつぶやく。

エマ・ボヴァリーが不貞を働くのは、単なる肉欲や、凡庸な冒険心を満足させるためでもないのだった。精神が瀕死の波打ち際に居る、一人の儚げな感覚を持ち合わせた美しいひとが、何かどうしようもない理由の中で、現実から逃げるために偶然にも出会った、一つの発見。こんな風に思えた。彼女の演技は、あの口調には、絶大な説得力があった。なんだか、破滅的なエロティックさ、やけっぱちさを感じるあのギスギスした体型。どうしようもない渇望と満たされない現実とのはざまで、圧し潰されないように手を伸ばしたのが、あの買い物熱、一時の情事だったのだ。それらに追いつかれた時、生活の倦怠に押し潰された時、彼女の精神も肉体も破滅を迎えるのだった。

彼女の感じる倦怠は、私たちが現代生活の中で感じる空虚感と、あまりによく似ている。私たちの中に、どれだけ多くのボヴァリー夫人が居るのだろう。
ソクーロフのボヴァリー夫人は、凡庸で薄っぺらい価値観を持った“第二の性”である女性、夢見がちで、田舎に住むのが耐えられない、傲慢な女性だから、
という理由を与えることなく、より普遍化した倦怠と渇望を描くのに成功しているのだ。

ストーリー・・・
修道院で育ったエマは、新しい世界に夢を抱き、医者のシャルルと結婚。だが凡庸な夫との田舎生活は退屈なものだった。そんな中、エマは青年レオンと出会う・・・
ボヴァリー夫人@ぴあ映画生活

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戦場でワルツを ▲169

戦場でワルツを’08年、イスラエル・ドイツ・フランス・アメリカ
原題:Waltz with Bashir
監督・脚本・製作:アリ・フォルマン
プロデューサー:セルジュ・ラルー、ヤエル・ナフリエリ、ゲルハルト・メイクスナー、ロマン・ポール
美術監督・イラストレーター:デビッド・ポロンスキー
アニメーション監督:ヨニ・グッドマン
編集:ニリ・フェレー
音楽:マックス・リヒター


アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞他、様々な賞をかっさらっていったという評判のこの作品。これまた突出したアニメーションの登場だ。

まず目を奪われるのは、映像の突出したセンス。ビビッドな色使いに、大胆で太めな線でクッキリ明暗を浮かび上がらせる、劇画タッチの人物の輪郭線。
さらに、CGを駆使して背景画像に疾走感を感じさせる。人物が走るその背景が、気持ちよく歪んで後ろに流れていく。絵とCGとの混ざり具合、これが音楽にピッタリ合っているのだから、たまらない。しかも、音楽がまた最高に格好イイのだ。このセンスにまず痺れる。

物語は、アニメーションでありながら、フィクションではなく、ドキュメンタリーであるということに、今更ながら驚きを禁じ得ない。
実写であったなら、そこに感じていたであろうはずの圧倒的なリアリティを、このアニメからは感じることなく、その代わりに別の惑星にいるかのような浮遊感をそこに伴っている。

これはまるで、今まで自分が一度も見たことのない映像のように感じさせ、いや、もしくは無意識の底から沸き上がってくる、自分自身の夢に似たようなデジャヴ感というべきか。
この相反する二つの感情を、同時に感じさせるこのアニメーション、これは・・・そうだ、きっとドラッグをやったことのある人間ならば「トリップ感」と呼ぶのだろう。

これにもし似ているものがあるとすれば、私はリチャード・リンクレイター監督の手がけた、素晴らしいロトスコープアニメの作品、『ウェイキングライフ』を挙げたい。映像技術でもちょっと類を見ないような、一風変わった奇妙な作品に、当時度肝を抜かれた。不協和音のヴァイオリンの音に誘われて、まるで別世界を旅するかのような、実写をアニメーションにトレースするという特殊な方法を取り上げた意欲作だ。

そしてこちらの作品も、『ウェイキングライフ』のように、自分の夢と記憶を旅する物語だ。
「記憶は、そこになかったものまで蘇らせ、同時に何かを隠す」。

だんだんこの謎が明かされていく中、その記憶の正体の分かったラストに、酷く大きな衝撃を感じるかもしれない。

それにしても、初めこそ刺激的に思えたアニメーション技術であるが、
次第にこれがアニメーションであったことすら忘れて見てしまう。そこにもう一度驚いてしまう。
まるで実写と見まごうようなカメラワークが、あまりに自然になされているのだ。
最後になるにつれ、アニメであったことにすら忘れてしまう程であった。


ストーリー・・・
2006年のイスラエル。映画監督のアリは、友人のボアズから26匹の犬に追いかけられる悪夢の話を打ち明けられる。若い頃に従軍したレバノン戦争の後遺 症だとボアズは言うが、アリにはなぜか当時の記憶がない。不思議に思ったアリは、かつての戦友らを訪ね歩き、自分がその時何をしていたかを探る旅に出る。 やがてアリは、ベイルートを占拠した際に起きた「住民虐殺事件」の日、自分がそこにいたことを知る・・・

・戦場でワルツを@映画生活

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リミッツ・オブ・コントロール ▲136


limitsofcontrol’09年、スペイン、アメリカ、日本
原題:The Limits of Control
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
製作:ステイシー・スミス、グレッチェン・マッゴーワン
製作総指揮:ジョン・キリク
撮影:クリストファー・ドイル
美術:エウヘニオ・カバイェーロ
編集:ジェイ・ラビノウィッツ
音楽:ボリス


イザック・ド・バンコレ  孤独な男
パス・デ・ラ・ウェルタ  ヌード
ティルダ・スウィントン  ブロンド
ビル・マーレイ  アメリカ人
工藤夕貴  分子(モレキュール)
ガエル・ガルシア・ベルナル  メキシコ人
ヒアム・アッバス  ドライバー
アレックス・デスカス  クレオール人
ジョン・ハート  ギター


たとえば、自分の中に、音楽が流れる瞬間。
たとえば、好きな映画や、好きな音楽。好きな事象。

誰かが、何か心惹かれる言葉を吐く瞬間。
そういうものが何となく好きだ。

珈琲を飲みながら、(もしくは酒だともっといいんだけど)、
近くに来て誰かが面白い話をするのを聞いているだけで、何か共感を感じるような気がする。
誰かの何かについての言葉とか、なんとなく共感する何かとか、
一緒に居て心地が良くなる誰かとか。

そんなものを掻き集めた、意味の無い散文的な何か。
この映画はそんなもので出来ていた。

だから、別に大した映画、ってわけじゃないですよ。

この映画を観た私は、一つだけ、スペイン語を覚えた。

La vida no vale nada

ヒアム・アッバス(『シリアの花嫁』、『扉をたたく』)の運転してたピックアップトラックに書かれていた言葉。(ガエルくんが乗ってた)

“人生に意味はない”

そう、この映画にも大した意味なんてないのよね。

だけど、ゲージュツがケイザイモンスターを殺すのには、賛成しちゃう。
コードネーム:アメリカ人という名のケイザイモンスターを殺すのだ。

しかもそれは、事細かに書かれた指示書などは何も無く。

インスピレーションだけで物事を進めるんだ。
つまり、普段の生活で私たちが必要としない何か。


何か一つだけ殺すとしたら、私もやっぱり、
そういうもの全てを信じていない人、を選びたい。

いろんな場所でいろんな人とお話をすることで、孤独な男は
みんなから共感を得ていく気がした。
みんなの力を借りる気がした。

想像力という名の元気玉を掻き集めて。

想像力によって物事を成すんだ。

理知的な解決法だけでは、取りこぼれてしまう事象を
ホントはコントロールのしきれないモノタチを
掻き集めたらこんな風になるのかな。


裸にレインコートの眼鏡の女の子が、何となく好き。
胸の大きさが右と左で違っていても、好き。
私もこんなレインコートが欲しいな。そんで、誘惑するの。
「我慢できる?」
眼鏡に寝癖ヘアーって、やっぱ似合う。

ティルダ・スウィントンが、お洒落コスプレをしている姿がなんだか、好き。
私も特別な任務を帯びたら、こんな格好してみたいな。

こんな風に、意味のない映画だった。
「人生に、意味なんてないんだ。」


ストーリー・・・
ある孤独な男は、任務を遂行するために一切他人を信用せず、計画の目的など謎に包まれたまま、スペインの様ざまな街をめぐる。ありのままの現実と、夢の中をさまようかのように非現実的な光景が交錯する男の旅。男は自身の意識の中をもさすらう・・・

リミッツ・オブ・コントロール@映画生活

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孤独な声 ▲123


孤独な声













’78年、ソ連
原題:ОДИНОКИЙ ГОЛОС ЧЕЛОВЕКА
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
原作:アンドレイ・プラトーノフ
脚本:ユーリー・アラボフ
撮影:セルゲイ・ユリズジツキー


タチヤナ・ゴリャチョワ  リューバ
アンドレイ・グラドフ  ニキータ
V・デグチャリョフ  ニキータの父


ソクーロフの初長編映画。大学の卒業作品だったそう。
この作品は反戦的と、公開もままならなかったらしく、そのためタルコフスキーが自ら公開にこぎつけるべく、奔走したとか。
作品の最後には、「この作品の運命に携わることになった、アンドレイ・タルコフスキーに捧ぐ」と書いてある。

とても静かに進む物語。戦争が終わり、無傷に帰省するニキータ。恋人のところすぐ会いにいくが、戦争後のため、お互い凄まじく貧しい生活を送っている。
カツカツで毎日の食べ物にも困る有様の中、何とか二人は一緒になる。
戦争の心の傷が未だ癒えぬ中、それでも何とか二人で居る時は幸せそうに見える。

心の痛みや、肉体的苦痛、そうしたことを一種独特なやり方で表現する映像方法。
物語はほとんど語ることがなく、映像から受け手側が必死に読み取っていかなければならない。

私は、見ている間、食べ物に困ろうとも、どこか幸せを感じようとする二人の映像が心に残った。
「お食事にしましょう」といっても大したものはないので、干物のようなものを包みから出し、水もなく二人で無言でむしゃむしゃ食べる。
私はある種、羨ましく感じた。その貧しさは、“清貧”と私の目に映った。本当はその方が幸せなのかもしれない。お互いが居れば、ただそれだけで幸せなのだから。物欲や、その他の欲望、人を堕落させる欲望などほど遠いところに位置する二人のように見えた。

だが幸せも束の間に、ニキータはリューバに本能的欲望を持つ、つまり肉体関係を持つことが出来ないまま、「自分は死ぬかもしれない」と言って家を飛び出し死の世界を垣間見ようとする。
この苦悩は、自分にはよく分からなかった。助けられたニキータは、苦しみののち、自分のために川に身投げをしようとしたリューバの元へ戻っていく。今度は、幸せになる決意をして。

ストーリー・・・
ソ連の国内戦が終わった年の秋、赤軍兵士ニキータ(アンドレ・グラドフ)は、故郷の村に復員した。そこには年老いた父と幼なじみの娘リューバ(タチャイナ・ゴリャチョワ)がいた。ふたりは共に貧しかったが、心ひかれあい、結婚する。しかしニキータは若妻との肉体関係を嫌悪し、精神的にしか愛せなかった。彼は苦悩の末、家出し、街で放浪する。苦しみの果て、彼が見いだしたものは、新たにリューバとの愛に生きる意欲だった。・・・

孤独な声@映画生活

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鏡 ▲113


鏡’75年、ソ連
原題:ЗЕРКАЛО / Mirror
監督:アンドレイ・タスコフスキー
脚本:アレクサンドル・ミシャーリン、アンドレイ・タルコフスキー
撮影:ゲオルギー・レルベルグ
音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
挿入詩:アルセニー・タルコフスキー



母マリア、妻ナタリア  マルガリータ・テレホワ
オレーグ・ヤンコフスキー
少年時代の私、息子イグナート
イグナト・ダニルツェフ
幼年時代の私
フィリップ・ヤンコフスキー
行きずりの医者
アナトーリー・ソロニーツィン
ナレーション
インノケンティ・スモクトゥノフスキー
詩朗読
アンドレイ・タルコフスキー


いやあ、本当に素晴らしかった!すっかり堪能、大満足。
タルコフスキーを見ると眠くなるか、ですって?まさかそんな。それどころか、全画面、眼球を1.2倍ぐらいに大きく見開き、終始画面に釘付けになってしまった。

’私’の現在の姿だけが登場しない。声だけが聞こえる。主観的な、夢のような世界。
いつかどこかで見たことがあるような、もしまだ見ていないとしたら、これから自分が見る風景のような、あるいは夢で見たような、
誰もが心の奥底に持っているような原風景。
集合的無意識に存在していたような、懐かしい風景・・・。

「特別な」画を自分は見ているんだ、と思った。
瞬間瞬間を、より心に刻みつけるかのように、大事に大事にする自分が居た。

ロシアなんて一度も行ったことがないのに、木で出来たお家に住んだことなど一度もないのに。なぜこの画は自分にとって特別なんだろう。

主人公の形が見えない“私の世界”は、そのままそっくり自分の世界にすり替わる。
母の姿を映し出した映像は、見ているだけで何故か辛くなってくるかのような、心の痛む思いがする。
瞬間で場面は変わってゆき、記憶がまた別の記憶を呼び覚ませるかのように、イメージが繋がって、また同じ場面が戻ってきたりする。

小鳥を頭の上に捕まえた子供の頃の自分、と思ったら場面は切り替わり、心苦しみながら横たわるベッドの上では、その手に鳥を握りしめている。

ラストも、不思議な描写だ。まだ自分たちが生まれる前の若かった頃の、父と母の姿。おそらく幸せだった頃の彼ら。
その頃、まだ木は生い茂ってはいない。若い細木の向こうにある家。
と、思うと、老いた母が手を引いて、古くなり鬱蒼と茂った家から出てくる。井戸は古びてびっしり草が生えていて、時間が経ったことを感じさせる。
老いた母が手に連れているのは、小さな子供二人の姿だ。まるで、子供の頃の自分とその兄弟のような、小さな二人。不思議な描写だ・・・。

母に感じる負い目のために、自分の妻がまるっきり母と同じ顔に見える。
母に対する思い、妻を傷つけた心の傷、全て心象風景そのままに、
途中から、まるで主人公は自分であるかのような錯覚すら起こった。

記憶の中の世界を闊歩するかのような、とても美しくて、心に残る映像世界。
“映像詩”という言い方も好きだ。

自分の記憶の中の秘密の場所を覗いているかのような、そんな気持ちになった。

こんな映画だったら、自分も撮ってみたい・・・。
ずうずうしくもそう考えてしまった。

ストーリー・・・
木々に囲まれた木造りの家で母親(マルガリータ・テレホワ)はいつももの悪いに耽つていた。一面の草原にたたずむ彼女に行きずりの医者(アナトリー・ソロ ニーツィン)が声をかけるが、彼女は相手にしない。息子(イグナート・ダニルツェフ)が家の中にいると、外では干し草置場が火事だと母が知らせに来た。 1935年のことだった。その年、父は家を出ていった・・・



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アンドレイ・ルブリョフ ▲51

アンドレイ・ブルリョフ’66年、ソ連
監督: アンドレイ・タルコフスキー
脚本: タルコフスキー、コンチャロフスキー


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セカンド・サークル ▲43


セカンドサークル・ポスター実はこの日、わざわざ仕事を休んでしまいました。ソクーロフ休暇(笑)・・ってどんな休暇やねん。全く、平日にやってくれちゃって!でも、劇場で見ないと、絶対に迫力は伝わらない。
そんな訳で、『ストーン/クリミアの亡霊とこちら、二本立てで見て来ました。だって一日限りなんだもの。休むしかないじゃない。@池袋新文芸坐。


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