2006年11月15日
119.エコール
こういうのって、天才の所業、っていうんじゃないでしょうか?
極上の一本。きっと、何年か後の人々に、「この映画にインスパイアされた」、とか、「この映画が忘れられない・・・」なんて言われそうな、後世に残っていく作品だと、勝手に断言します!
これは、大画面で堪能すべき作品だった。
ミニシアター系の割には大きな画面の、シネマライズで見れて良かった、なんて思ってます。・・・
忘れられそうにないですっ・・・!この作品が。
取り憑かれそうなんですっ・・・。
初めに、映し出される映像を見て、「うわw、とんでもない映像を見ているな〜」、という気持ちになった。で、これは何を表しているのだろうか、とか、これは何の象徴で、とか、自分の中で、何かと何かを連環させようと、努力をしていた。
で、途中から、全くそういったことはすべて、無駄なのだ、と思い知るに至った。
そんな考えは野暮だ。
映像が思考を奪った。
ファインダーの中に映る世界は、そこに在って、もはや虚構の世界なのだけれども、私達はそこに虚構というより、リアリズムをむしろ期待している。
自分たちの目の前で繰り広げられるかのように、そこにいる存在を身近に感じるこのカメラの中に位置する世界。
だけど、ルシール・アザリロヴィックの描く世界は、その虚構であるべき世界の中で、圧倒的なまでに虚構であり続ける。
少女たちの世界である、森の中の寮が、高い障壁に取り囲まれていて閉じ込められた世界である、というように、私達はそこへ入っていくことすら禁じられているかのように“拒絶”され断絶されているのだ。だがそこに存在している世界。
この虚構の二重構造。
森の中の寮に裸で棺で送られてくる新入生徒は、まるでそこから産まれたかのようだ。
そして、何度か出てくる、サナギから蝶に“変態”してゆくイメージ−少女たちのメタモルフォーゼ。サナギがその殻に守られているかのように、少女たちはこの王国の中に守られて、ゆっくりと成長してゆく。
だが、時はまるで止まったかのように存在し続けてゆく、この真逆な真理がそこに在る。まるで時そのものに忘れられたかのような存在なのが、少女たちの少女性なのだ。
他の何物にも変え難く、移ろいゆく中で嘘みたいに美しい、この少女性というもの。
この少女性たるものを表現するために、ソフィア・コッポラは『ヴァージン・スーサイズ』で同じテーマに取り組んだが、この作品に比べると、稚拙な表現方法だったように今では思えなくなってしまった。
こんな風に言葉でこの映画を語り、表現しようとするその試みすら、はっきり言って無駄なことのように自分には感じている。
言語という何か別の表現手段に変えてゆくことは、この作品には冒涜にすら自分には感じてしまう。・・・映像というもので完璧に映し出される世界観に、なぜわざわざそれを言葉という、別の表現で表わす必要があるだろう?
またここには音響効果というものも、最小の表現が用いられている。少女たちが生のままで在るかのように、鳥の鳴き声や、ピアノの音のみ、徹底して自然というものにこだわって使用されている。そのため、卒業してゆくビアンカとイリスの散歩のシーンで音楽がかかると、まるで魔法を受けたかのような気持ちにすらなった。
少女たちはそこに居る間、純粋さを持っているだけでなしに、人によって成熟度が違っていて、早く大人になりたい者もいれば、その枠にハマりたくないものもいる。
私が素晴らしいな、と思ったのは、各個人にとって“成長譚”というよくある話でなく・・・“時間”がくれば成長する、というのは当然のこととして、少女たちは、また季節がくればやってくる。
あの“場所”そのものは変わらないという、preserveness。
“時間性”とは相反するものが絶対的にそこに存在するかのような表現だった。
個人主義の時代にあって、共産主義的であるとすらみえる、“般化した表現”。
これをモチーフにしているところがとてもクレバーな芸術表現であると思った。
最後、外の世界へ旅立ってゆく少女たちは、もう一度生まれてゆくかのように、子宮の宮道を思わせるような長いトンネルを通って、外の世界へと旅立て行く。
初めにずっと流れていた、水の底、そして水音は、この子宮の中の羊水だったかもしれない。
そして異性に出会う彼女たちを、とても頼りない存在に思わせるのがまた、秀逸で忘れがたいものとさせられる。
イノセンスの終焉を描くことで、よりその儚さを強調しているように思えた。
そして、最後の文字!
ドーン、と、このテーマを最後にもってきて、いきなり閉じる終幕。
最初のタイトルロールにすべて登場人物やキャストが流れる方式をとっているのは、このラストをより昇華させるためだったかのように感じる。
男性から見たら、おそらくは“ロリータ”だとか、そういったことしか感じられないのだろうか?おそらくこれを見た多くの人は、そういった言葉が聞こえてくるのを耳にするだろうと思う。
だけど、少女であった人達はそこがどんな世界であったか、もし無心でそこが存在しうるところであるなら、この世界と似ているだろうと感じる私なのだが。
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
不思議な魅力に溢れた作品でしたよね〜。無垢で可愛い少女たちの世界は謎に満ちていましたが、いまさらながらに謎は謎のままでよかったのかな?と思います。考えるより感じる作品なのかもしれませんね。
なるほどね、子宮の比喩か・・・。
なんかナゾは謎のままであればいいのねっ!と納得させられましたわ。
少女達を見る自分の目線がどうもなんとなく犯罪者になった気分になってまして…爆
つれて帰りたい。い、いけない。笑
森に親しんでいない生まれなのに、白い制服なんて着たこともないのに、バレエも未経験なのに、それは見覚えのある光景でしたー。
おたまじゃくしからすぐカエルになるより、サナギ時代のある蝶ライフはステキ。
TB&コメントありがとうございます。
>初めにずっと流れていた、水の底、そして水音は、この子宮の中の羊水だったかもしれない。
おおおおお!素晴らしい具現化。
私は、こうはいきませんでした。恐れ入りー。
とにもかくにも不思議な雰囲気に呑まれたのですが、それを言葉で表現する事が難しい作品でした。
とらねこさんの記事、すごいな、上手いな。それ程に、魅入られたという事ですよねー。

こんばんは♪
そうですね、不思議な魅力という言葉が、まさにぴったりの作品でしたね。
そうですね、謎のままにしよう、という監督の強い意志が感じられましたね。
例えば、ブルーリボンで選ばれた者の行く末とか。
私は、実はあらぬことを考えているのですが・・・

こんばんは♪
そうなんです、私は、もう、全く何も考えられずに、一つ一つに目を奪われました!
すごく素敵な映画でした・・・。
そうですね、謎のままにしようという監督の意向が感じ取れましたね。
すべてにおいて、計算され尽くされたかのような、芸術度の高さを感じる作品でした。

そうですね、その通りですよね!
おそらく、秘めやかさを感じる森というものには、自然がそばにある地域であれば、かならずやそこへ行くこともあったでしょうし、何かヨーロッパ的にそれは懐かしいものだったのかもしれませんね・・・!なるほど。
>おたまじゃくしがかえるになるより、サナギ時代がある蝶が・・・
このくだり、うふふ

かえるは、後足が出たり、前足が出たり、面白い変態の仕方ですもんね♪きゃはぁー



こんばんは♪
お褒めの言葉、ありがとうございます。
>それ程までに魅入られた
そうなんですよ!表現手段が、すべて意味を感じられるんですよ。この作品に関しては。・・・
なので、私にとっては、私のオールタイムベスト10に入る勢いの作品となりました。
この作品とか、『ウェイキング・ライフ』のように、表現方法と、その内容が、芸術上意味があり、作家性を感じると、もう〜ツボです。
そうですね。
本当は、少女性の物語として、誰もがもっている資質かもしれませんね。だけど、現実は、日常の中で、その少女性を剥奪されていきますね。家族や通常の学校やテレビをはじめとする社会の侵食によって。この森の学校は、その侵食を、拒否する、夢の学校ですね。



さんへこんばんは☆
なるほど、そうですね、この森の中の閉鎖空間は、その少女性を純粋培養で培うためのもの、と言えるかもしれませんね。
自分自身の話で恐縮ですが、私は、頭の中の王国で過ごしているかのような、想像力の世界に住んでる子供でしたので、社会の侵食を受けずに過ごしていたように考えています。
でも少なくとも、子供は、想像力の世界で過ごす、そういった王国の住人のような気が自分はしているのですが、それを形に表すなら、あの森の中の学校、と言えなくもないのではないか、というのが自分の意見です。
ちょっと・・・強引でしょうか(笑)
>映像が思考を奪った
おぉ〜!まさに「Don't think, Feel」by李小龍の心境ですね
無垢なる少女は世俗の垢にまみれて「おんな」になる、ならば隔離して純粋培養したら…
きっと妖精になるんだろうな〜とかうすのろけたことを考えながら観てました
ひととしては清濁合わせ飲むの心を持っていて欲しいので、自分がお付き合いするにはあの学校卒の子はご遠慮したいですが(笑)
原題の『Innocence』の方が内容的にはやっぱりしっくりくるかなと
「無垢なるもの」てタイトルの絵画だと思えば絵面をありのまま愛でるの鑑賞姿勢で正解でしょう
『エコール』だとどうしてもあのシステムを維持運営してるスポンサーとか「実験」や「飼育」やらの言葉が浮かんで想像が邪方面へ…(笑)
生物学が必修科目なのは何なんでしょうね?
意味深っちゃ意味深なんですが…

こんにちは〜★コメント、本当にありがとうございます!
みさんはこの作品、まさか食指を動かされるタイプと思いませんでしたので、すっごくビックリしてしまいましたよ!
蔵六さんには「ボクは絶対観ない」なんて言われましたので、なんとなくみさんも観ると思わなかったのですよねー。うーん懐の深い人だ。ますます不思議

>ひととしては清濁合わせ飲むの心を持っていて欲しいのであの学校卒はちょっと
イヤイヤ、あっと言う間にイノセンスは穢れると思いますよ。私最後のあのシーンは、即異性との性行為を連想させられました。純粋さは好奇心であっと言う間に掻き消されたりすると。秀逸なシーンでしたね。
で、純粋が故のヤリマン、成虫版が『ランブリング・ローズ』みたいなものになったりしてw
>『エコール』だとどうしてもあのシステムを維持運営してるスポンサーとか「実験」や「飼育
おお!エコールで探すとあのサイトがたっくさんヒットするんですよね。
さすがみさまはよくご存知ですね!私、今回この映画を調べるので、初めて知ったんですよ!すごい!やっぱそういうとこなんだ!ヘエエエ〜
『エコール』発『ランブリング・ローズ』行き
ウハハ、ハ、ハライタ…(爆笑)
あれは純粋培養ではなくて飢餓状態を作り出す性欲過多養成虎の穴!生物学の講義はその布石か?!
妖精ではなくて養成というオチでしたか
>最後のあのシーンは、即異性との性行為を連想させられました。純粋さは好奇心であっと言う間に掻き消されたりすると
ふむふむ。不安や怯えはその対象を知ってるが故の感情であって、速水無垢未知状態だとすると好奇心がまさるような気はしますね〜
確かにそんな食いつきのよさを感じさせるシーンではありました。そして一旦堰が切れると猿のセン…あ、いや‥モゴモゴ(笑)
実は『エコール』と聞いて真っ先に思い浮かべたのはキング・オブ・クソゲーの誉れ高い「デスクリムゾン(通称デス様)」のメーカーだったりするんですけどね…

こんばんは〜♪
あ、そうそうT2PMキャプテン!私ったら、こないだいい振りしてくれてたのに、ツッコミ下手でごめんちゃい〜(+_+)
バカ!私のバカバカ!(ポカスカ)>妖精ではなくて養成というオチでしたか
:::::この先ネタバレ::::::
そうそう、あのブルーリボンは、どう見ても、売られていきましたよねー。
生物教授も「今年はイイ子が二人も・・・うっひっひ」とか言ってまあ。
本当に、どうゆう学校なんでしょねー。
好奇心・・・もう、“メス”とか“オス”とか呼びたくなるような、最後のシーンで(笑)
イノセンスの終わりまで描いたところが本当にキュっとしまったラストで素敵でしたー。
>キング・オブ・クソゲー
ごめんなさい、知りません・・・なんかみさまって、みうらじゅんみたい!
…これは別の意味で伝説になりますね。
私にはスプラッターと同じ、絶え間ない暴力の連続でした。
「芸術なら許される」んでしょうか?チャイルド・ポルノと芸術を誰が線引きするのでしょう?芸術家ってなんて傲慢なのでしょうか。
ソフィア・コッポラはお嬢様の手慰みでもある種の切実さは感じられますが、これにはフランス人のスノビズムしか感じられません。
「男性にはわからない」と言われればそれまでですが、女性映画でも「イン・ハー・シューズ」など開かれた表現の秀作はありましたし。
とらねこさんが絶賛なさらなければ決して見ることのない、そして決して見るべきではなかった作品でした…
「♪恨みまーすー」中島みゆきのヴォーカルで。
こんばんは☆
>スプラッターと同じ、絶え間ない暴力の連続
あらら・・・だめでしたか

この作品は、是非とも、冬のマーケットさんの感想が聞きたいところなんですが、まだ記事UPしていらっしゃらないですね・・・^^;
冬のマーケットさんは、怒ってらっしゃるのか、それとも、裏の裏をかいて本当には気に入っていらっしゃるのか、うーん、どうも難しくて良くわからないのです

そしたら、最後に・・・
>♪恨みま〜す〜♪中島みゆき
ズルっと、椅子から転げ落ちそうになりましたよ(笑)
うはは、最後に笑わせてくださり、ありがとうございます?^^;
うーん、でも、あんまり気に入ってないのかな・・・?
子宮、羊水・・・面白い発想ですね。当を得た比喩だと思います。
私にとっては、男子禁制の世界を描いた本作を見るにあたって若干の後ろめたさを感じてしまったのですが、かなり特殊な設定の物語ながら、普遍的な人間の成長プロセスを示唆しているようにも感じるのです。
外の世界が見たい、でもまだ見てはいけない、でもいずれは外の世界に出なければいけない、でも今ここにある世界も捨てがたい・・・
稚拙な表現しかできませんが、こういう相反する感情を抱えながら人間は成長していくんじゃないだろうか、それを本作では少しデフォルメして描いたのではないだろうか、とも思うのですね。
椀さま
こんばんは♪
続けて二度もカブっていただき、ありがとうございました〜。
そうですか、やはり、男の人にとっては、後ろめたさを感じるのですか。
どこか、プールの前の着替えが男女で別れる感じと言いますか、そんな気がしますねー。
成長プロセスを描いている、確かにそうとも言えますね。サナギの期間というものは戻って来ないから美しいんでしょうね。
少女の心の中には、こんなものがある、それをそのまま描かれたような気がして、懐かしくなりました。
奪いましたかぁぁぁ!
とらねこさんは感性が繊細ですよね。
こと女性のなかでも。そう思います。
でも俺のようなヤボテンがこういう映画を観ると、
あんなやや下世話な記事になります(照)。
まったく、まったくお恥ずかしい限り・・・。
昔、オーケンが筋少で歌っていた、
「少女の王国」という曲を思い出しました。
まぁそれもかなりベタな曲なんですけどね(笑)。


こんばんは〜★
私、繊細だろーか??
ううーmmmこの作品の記事とか、たまにそういうのがあるかもしれませんけど、そんなにガラスの神経ってほどではなくて、
結構、ぶっとい神経って感じですよー(微笑)
でも、栗さまの文て、なるほどー、って思ったりします。
自分も男だったら、そんな風に思うものかも?
と、思うだけで、栗さまって、結構、自分にソックリwなんて、思ってます。
見る映画のラインナップも、自分と、これだけソックリな人って、結構いないもんです。
男と女の違いはあれど、すごい似てるもんを感じてたりするんですが。
『少女の王国』ですか、うんうん、そうですね。
少女の世界は、男には分かるまい、なんて思ったりします。
この作品、なんだかドンピシャとツボにはまりました。(なんと堪能度満点でございます)
今まで男の子の寄宿舎モノを見て私が感じたようなことを、男性はこの映画を見て感じるのかなと思います。
自分の失くしてしまったものを愛しく懐かしみ、そして、これから変態していくすべての少女たちに想いを馳せました。
噴水で遊ぶ少女たちがあまりに無防備で、これからが心配〜。
さっそく男性が近づいてきましたもんね(汗)

こんにちは☆コメントありがとうございました。
ミチさんもハマられましたか!
この作品、なんだか人を選ぶ作品のようなんですよね。
(とか言いつつ、去年のベストにしてしまいましたが・・・)
>今まで男の子の寄宿舎モノを見て私が感じたようなことを、男性はこの映画を見て感じるのかなと思います
そうですね!少女の世界というと、禁断の世界で・・・これを男性が見て、ちょっと心地悪く感じる様を想像すると、とても気味がいいです☆
(意地悪なんですよね、私・・・☆)
なんか怪しい・・・
あの子たち、どっかに売られちゃうんじゃないかと心配してしまいました。
とっても、ダメな大人な、ひらりんです。
こんばんは〜☆コメントTBありがとうございました!
ひらりんさん、この映画は、私ほど評価している人は、正直去年、あんまりいませんでした・・・(泣)
なので、「だめなひらりん」なんて、言わなくって、いいですよ〜♪
あの子たちは、売られます。完全に、買いに来てましたよねw
こんばんは〜♪コメントありがとうございます。
ありがとうございます。
この映画に関しては、自分はすごく気に入って一生懸命書いたつもりなんですが、
世間の人ととってもズレてしまう時があります・・・


