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119.エコール

エコールこういうのって、天才の所業、っていうんじゃないでしょうか?
極上の一本。きっと、何年か後の人々に、「この映画にインスパイアされた」、とか、「この映画が忘れられない・・・」なんて言われそうな、後世に残っていく作品だと、勝手に断言します!
これは、大画面で堪能すべき作品だった。
ミニシアター系の割には大きな画面の、シネマライズで見れて良かった、なんて思ってます。・・・



忘れられそうにないですっ・・・!この作品が。
取り憑かれそうなんですっ・・・。

初めに、映し出される映像を見て、「うわw、とんでもない映像を見ているな〜」、という気持ちになった。で、これは何を表しているのだろうか、とか、これは何の象徴で、とか、自分の中で、何かと何かを連環させようと、努力をしていた。

で、途中から、全くそういったことはすべて、無駄なのだ、と思い知るに至った。
そんな考えは野暮だ。

  映像が思考を奪った

ファインダーの中に映る世界は、そこに在って、もはや虚構の世界なのだけれども、私達はそこに虚構というより、リアリズムをむしろ期待している。
自分たちの目の前で繰り広げられるかのように、そこにいる存在を身近に感じるこのカメラの中に位置する世界。

だけど、ルシール・アザリロヴィックの描く世界は、その虚構であるべき世界の中で、圧倒的なまでに虚構であり続ける。
少女たちの世界である、森の中の寮が、高い障壁に取り囲まれていて閉じ込められた世界である、というように、私達はそこへ入っていくことすら禁じられているかのように“拒絶”され断絶されているのだ。だがそこに存在している世界。
     
   この虚構の二重構造。

森の中の寮に裸で棺で送られてくる新入生徒は、まるでそこから産まれたかのようだ。
そして、何度か出てくる、サナギから蝶に“変態”してゆくイメージ-少女たちのメタモルフォーゼ。サナギがその殻に守られているかのように、少女たちはこの王国の中に守られて、ゆっくりと成長してゆく。

だが、時はまるで止まったかのように存在し続けてゆく、この真逆な真理がそこに在る。まるで時そのものに忘れられたかのような存在なのが、少女たちの少女性なのだ。
他の何物にも変え難く、移ろいゆく中で嘘みたいに美しい、この少女性というもの。

この少女性たるものを表現するために、ソフィア・コッポラは『ヴァージン・スーサイズ』で同じテーマに取り組んだが、この作品に比べると、稚拙な表現方法だったように今では思えなくなってしまった。

こんな風に言葉でこの映画を語り、表現しようとするその試みすら、はっきり言って無駄なことのように自分には感じている。
言語という何か別の表現手段に変えてゆくことは、この作品には冒涜にすら自分には感じてしまう。・・・映像というもので完璧に映し出される世界観に、なぜわざわざそれを言葉という、別の表現で表わす必要があるだろう?

またここには音響効果というものも、最小の表現が用いられている。少女たちが生のままで在るかのように、鳥の鳴き声や、ピアノの音のみ、徹底して自然というものにこだわって使用されている。そのため、卒業してゆくビアンカとイリスの散歩のシーンで音楽がかかると、まるで魔法を受けたかのような気持ちにすらなった。

少女たちはそこに居る間、純粋さを持っているだけでなしに、人によって成熟度が違っていて、早く大人になりたい者もいれば、その枠にハマりたくないものもいる。
私が素晴らしいな、と思ったのは、各個人にとって“成長譚”というよくある話でなく・・・“時間”がくれば成長する、というのは当然のこととして、少女たちは、また季節がくればやってくる。

あの“場所”そのものは変わらないという、preserveness。
“時間性”とは相反するものが絶対的にそこに存在するかのような表現だった。
個人主義の時代にあって、共産主義的であるとすらみえる、“般化した表現”。
これをモチーフにしているところがとてもクレバーな芸術表現であると思った。

最後、外の世界へ旅立ってゆく少女たちは、もう一度生まれてゆくかのように、子宮の宮道を思わせるような長いトンネルを通って、外の世界へと旅立て行く。
初めにずっと流れていた、水の底、そして水音は、この子宮の中の羊水だったかもしれない。
そして異性に出会う彼女たちを、とても頼りない存在に思わせるのがまた、秀逸で忘れがたいものとさせられる。
イノセンスの終焉を描くことで、よりその儚さを強調しているように思えた。

そして、最後の文字!
ドーン、と、このテーマを最後にもってきて、いきなり閉じる終幕。
最初のタイトルロールにすべて登場人物やキャストが流れる方式をとっているのは、このラストをより昇華させるためだったかのように感じる。

男性から見たら、おそらくは“ロリータ”だとか、そういったことしか感じられないのだろうか?おそらくこれを見た多くの人は、そういった言葉が聞こえてくるのを耳にするだろうと思う。
だけど、少女であった人達はそこがどんな世界であったか、もし無心でそこが存在しうるところであるなら、この世界と似ているだろうと感じる私なのだが。

エコール@映画生活

 

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コメント(55件)

  1. <エコール> 

    2004年 ベルギー・フランス・イギリス 121分
    原題 Innocence
    監督 ルシール・アザリロヴィック
    原作 フランク・ヴェデキント
    脚本 ルシール・アザリロヴィック
    撮影 ブノワ・デビエ
    音楽 リチャード・クック
    出演 ゾエ・オークレール  ベランジェール・オ…

  2. みのりさんへ
    こんばんは〜♪コメントありがとうございます。
    ありがとうございます。
    この映画に関しては、自分はすごく気に入って一生懸命書いたつもりなんですが、
    世間の人ととってもズレてしまう時があります・・・

  3. 7/20 エコール(’04)

    日本では一昨年公開のフランス・ベルギー合作のルシール・アザリロヴィック監督作品。原作は19世紀ドイツの短編、深い森の中の、外界から閉鎖された女学校、エコールで暮す幼い少女達の姿を描いたミステリアスドラマ。マリオン・コティヤールが出演、ファンタジックなDV…

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  5. 映画評:エコール

    真っ暗な闇の奥底。
    どこかで水の音が聞こえた。ぶくぶくと泡を作るときの音だ。
    しばらく水の流れに、体を漂わせているような感触があった。
    やがて水の音が聞こえなくなった。
    次に聞こえてきたのは、静かな音楽だった。
    周囲を、誰かが取り囲む。でも少女の体は箱の…




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